エンジニアとして自分を支えるものは過去の経験と学ぶこと

歳を重ねていく中で形成するものの一つに“自分を信じる”力があると思うんだ。それは、自分をいざというときに自分の意思を駆動するもの、と言ってもいいかもしれない。


ワタシが中学生や高校生の頃は、ずっと自分が嫌いで嫌いで仕方がなかった。流石にこの歳にまでなって嫌いという感情はなくなったような気がするのは、どこかで自分のことをきちんと向き合えたのではないか、って思ったりもする。それがいつのことかまでは覚えていないけれど。


自信って何だろう
“自信”でなんだろう。子どもの親になっても、マネージャになってもへこたれそうなことは沢山あるけれど、まぁ、実際はへこたれた風なことはいっていてもなんとか踏ん張っている。


中学や高校のときなんて、いつもへたれていたかもしれない。あの時代はひどかった。今更ながら、今の自分と同じ人間だなんて思えないくらいだ。


あの時持っていたものは何だろう。ううん、そう、若さ(=体力)と時間かな。何かに打ち込めるものがないから時間だけはあったけれど、ただ無駄に捨てていた。


今持っているものは、自信だけかもしれない。相変わらず、趣味で打ち込んでマニアやらオタになれるものはないけれど...。そうだね、仕事は楽しいし、今のプロジェクトのようにしんどくても逃げたいという気持ちにならないのだから、仕事が趣味みたいなものかもしれない。ワーカホリックというか、社畜というか。


エンジニアとして自分を支えるものは
もう、20年超も同じ業界で仕事をしていると、今の自分は専門領域を軸としてならこれからもなんとかやれそうだと思っている。傍から見たら随分な自信を持っているように思えるかもしれないけれど、これで、なんて見せられるようなものではないから、当てずっぽうって言えば当てずっぽうのようなものだけれど。


そんな当てずっぽうのものが自分を支えるもので、それが専門領域のもので。それがあるからやっていられるし、自らを信じらる。


そうなんだね、自分を信じられることが自信なので。では、エンジニアという技術者なら「なにが自信になるの?」と聞かれたら、やっぱり「専門領域でやってきた過去の経験と学ぶこと。」なんじゃないかと。


どんな(過酷な?)プロジェクトに参画したとしても、過去の経験は自分のこれからを支えるものの基盤として存在するし、それを使わない手はないし。ただ、プロジェクトなのだから、すべての前提、すべてのリソースを見ていけば必ず何等かしか違うのだから、そのプロジェクトに合わせたテラーリングは必要だし、それを遂行するに足らないものがあるのであれば、自助も支援も含めて自分が主体者となって補てんしなければならないんだと思うんだ。


そうやって、一つひとつを揃えていって目の前の山を乗り越えるのか、回り道をするのか、トンネルを掘るのかわからないけれど、進んでいくんだ。


その道程を歩ませるのが自信なんじゃないかな。