会社の研修がツマラナイのは自分で時間を無駄にしていることに気付いていないから


マジで会社の研修は「だりー。」と思っていたときががありましたね。実際、1日終日の研修ならまだしも、2-3日の研修でそれが全く興味のないことだったときにはもう何とも言えない気分で一杯に。


きっかけは忘れたけれど何が変わったかは覚えている
でも、あるとき、何かをきっかけに考え方をがらりと変えたんですね。その研修は受講必須の研修でバックレることはできない。朝の出欠と帰り際の理解度テストがあるし。たぶん、何よりそのときはそのときで忙しかったんだと思うんです。

「(この忙しい最中の研修で1日つぶさないといけないのに、“手ぶら”で帰ることなんてありえない!)」って。


そうなんですね。それまで興味のない研修で、しかも絶対受講しないといけない研修だってたくさんあったわけです。でも、そうした研修は、ただ、ホントただ受講してた、だったんじゃないかな?って今思い返してみてもそう思うんですよ。


同じ人の忙しさでも濃淡がある
忙しさって、その人の、あるときのロールで、その濃淡が同じ人の忙しさであっても違うんじゃないかな、って思うんです。一担当のときの忙しさとマネージャの忙しさが同じ人の忙しさでも密度というか重さが違うのだと。


その密度の濃いロールのときこそ、1日研修で時間を費やさないといけないわけで、その研修がなければやるはずだった仕事を先送りするんですからそれはそれでその先送りしないといけない仕事の納期のプレッシャが強ければ強いほどココロにズッと重くのしかかる感じなんですね。


お土産を持って帰る
そんな貴重な時間を使ってまでその研修を受けるのであれば、先送りした仕事の先送りした分に見合う何らかの“お土産”を持って帰らないともったいなくて仕方がない、って気付いたわけです。


お土産を持って帰る。そう意識を変えてからどんな研修を受けたとしても、

“何か一つでもお土産を探して帰る”


ように意識を変えたで、“ツマラナイ”と思うようなことはなくなったです。そんなこと考えること自体がなくなったんですね。だって、いいところを見つけるようなものでしょう。

「昨日の研修何かいいことあった?」
「そうそう、○○はためになったね。」


そう、はっきりと言えるようになったんです。


お土産を見つけることは時間を無駄にしないこと
それまでどんだけ意識が低かったんだよ、って話でもありますが、実際それまでは興味がわかなければつまらないと思ったものはつまらなかったわけで。


でも、それからは、お土産は必ず残すんですね。今ならevernoteにでも残しておくかな。それはそれに費やした時間を無駄にしない、情報は目で見た瞬間、ココロに響いた瞬間に、自分の解釈した言葉に置き換えてみる。そして、それが自分のフィルタを通過するほどの価値があるときにメモを残す。


これで随分会社の研修も楽しくなったものです。