ゲームが得意なら仕事は上手にできるよ、まぁ……


ゲームって、手にしたゲームをクリアすることで達成感を得たり、クリアする過程での体験で感情を揺さぶられたいからするんだと思っているんですが、大体あっていますかね。キャラクタが好きだからとかもあるかもしれないですけど、それだってクリアする過程でその好きなキャラクタとの過ごす時間の体験に価値を見出しているわけで。


ゲームの終わりは、ハッピーエンドからバットエンドまでいろいろあるわけですが、本質だけで言えばゲーマーはゲームをクリアすることがその時間の課題になると見立てることができます。


そのゲームも一本道のようなシナリオだと「ツマラナイ!!(怒」となる一方、いきなりボスキャラが怒涛のように出てくるようだとまたそれも「ダメなシナリオ……オワタ」と言われるわけで、課題解決のシナリオ設定はどちらにしても単純ではダメで複雑性がある方がそのゲームをするゲーマーの対場から言えば“オモシロイ”と感じるので作り手としては、面倒なことこの上ないです。


ワタシが最初にRPGをやったのは、とっても遅くてドラクエ8ででして、PS2を買ったのだってDVDプレーヤーとしての名目で買ったという「じゃあゲームもしないのに何で買ったの?」と問われるとぐーのねも出ないくらいですが、まぁ、どこかで何かゲームするかもね、って思っていた節があるのはあったんだと思いますが。


いや、もう、最初さっぱりわからんかったですね、ドラクエ8の遊び方。レベル上げしないといけないとか、そのためにモンスターと戦わないといけないとか。アイテムを集めて合成してみたり(あれ、これあったよね。)とか。ゲームのしくみを理解するのに相当の時間がかかったんですよ。


で、しくみがわかるとゲームが上手か下手かは別な話だけど、次何やればいいかわかるんですね。モンスターが強いのでレベル上げないといけないとか、何かアイテムを探さないといけないんだろう、とか。で、レベル上げでも割のいいところでやるのはまるで作業のレベルにプレーを置き換えているんですね、自然と。足らないアイテムは、フィールドを探し回ったり、ネットを漁ったり。これも、インプットが足らないので情報収集という作業に置き換えているです。


ゲームのくせに試されることもままあって、レベルが足らないとモンスターにやられるわけです。はい、教会逝き^H^H行きですね。で、復活せよ、と。


ゲームのくせに、お金を払っているのはこっちなのに死んじゃって複雑な気持ちになるわけです。


そうしたプレー中の経験もドラクエ8のように職業が選べるとタレント性が違うので保持と発揮ができるスキルが違うし、その成長も違うので、結果、別物になっちゃうわけで。


こうして下記述べたことを“ふりかえり”してみると、ゲームでキャラクタを育てるのはエンジニアを育てるのと全く一緒なんだなぁ、と思うわけです。


新卒で組織に配属されて、仕事を覚える過程や技術を獲得する経験やチームプレイでどういった役割を担うか、とか。得体のしれない無茶振りを作業に落とすために、いかに情報を集めてゴール設定して過程を踏むか。


改めでそう思うと、ゲームができるならゲームのしくみをそのままパターンと捉えれば容易いんじゃないか、なんて思いに至るんだけど。


あとは、それをプレーするのかプレーしないのか、だけど。


そうそう、一つ違うのは、ゲームにあって仕事にないのもがあるんだ。それは、ゲームではリセットをしてしまえばセーブポイントまで戻れるから時間というコストを払うだけなんだけれど、現実はリセットでなかったことには、できないんだ。場合によっては支払うコストも大きいけどね。