やりたいことを理解し、意思を持って伝えることの価値


ワタシにはプログラムやパラメータも実現仕様を設計するスキルが無いか、あっても、悲観的なレベルなのです。


でも、ワタシには、顧客が欲しているだろうシステムのイメージを聴くことができるし、それが何者なのか図と言葉を使って合っているのか違うのかを尋ねることが出来る。


ワタシにはプログラムやパラメータのコードを書くスキルや値を決定するスキルもないのです。それを一番知っているのはワタシであることも良くわかっているのです。


でも、ワタシにはそのプログラムがいつ必要か、プログラムやパラメータの値が作業で担保してきた作業品質の確からしさを確認するタイミングを知っているのです。同じように、品質保証をするタイミングも知っているのです。


ワタシには足りないことが沢山あっても、プロジェクトのdeliverableを、納期に、顧客に届けたいという強い意志を持っているのです。


だから、その思いを諦めたりしない。諦めない意思を持っているからどうやったらできるかを考えるんです。


でも、やっぱりワタシひとりでは思考の範囲が限られるから知っていそうな人の所を歩いて回るんです。そうして歩いて回り、一人ひとりにワタシの意思を説明して、その人にして欲しいことを具体的に説明するのもワタシが顧客に届けたい、という意思の現れの一つです。


人は漠と頼まれても困惑するものです。それは、ワタシが頼まれても同じです。出来ること、出来ないことは頼まれたワタシにしかわかりません。ただ、ワタシには出来なそうなことでもワタシでなくてもいいならできそうな人を紹介できるかもしれません。でも、そのできそうな人を紹介するかどうかは頼む人の意思の強さに揺り動かされるのです。どれだけ本気で考えているのか、と。それは、本気なのなら具体的に考えているのかどうか、その依頼の具体性でわかると思うのです。


ワタシが顧客に届けたいと意思を持って歩き回るから、具体的にああしたい、こうしたい、と伝えることで、それが出来るのか出来ないのかを知るのです。


そこには、ワタシのスキルの不足は問題にはなりません。ただ、やりたいことを意思表示したことのスキルを持っている人の話を聴いて、理解できるかどうか、です。聴かなければ理解できないし、理解できなければそれを頼んでワタシがやりたいことを充足できるかどうか、ワタシ自身が判断できないから。


ワタシは、やりたいことを理解し、伝えることしかできないけれど、それをやりたいと意思を持っている。その意思を失うことがワタシにとって一番リスクなのかもしれません。