いつ役に立つかはわからないけれど将来の自分のために

10代、20代、30代…それぞれの年代での仕事がありますよね。10代なら勉強が仕事だし、20代で仕事に就いたらそれが仕事(変な言い回しだけど)だし。30代になると仕事が仕事では変わらないけどその内容が変わってくるし。


1日24時間あるうち、仕事に大分割かれちゃう。日々の営み、食事、家事、などなど。1日の時間を仕事とそれ以外に分けると、また違った面が見えてくる。


10代なら勉強とそれ以外だけど、それ以外の時間は何をしているんだろう。部活かそれともやっぱり勉強か。20代になると仕事と生活の営みかしらん。30代になると仕事と結婚していたら家庭に割かれる。


ここでわかることは、年代を重ねるごとに1日24時間あるリソースを取り合うようになるというコトなんです。日々の営みは睡眠、食事、家事、そうしたことに。仕事は勉強だったり仕事だったり。


自分自身の時間というリソースなのにね。それを自分で取りあっちゃう。


おかしな話です。


その時間のリソースを取り合ってきたことをワタシがその時間のリソースをどれだけ自由に使えるかという断面で自分の過去を振り返ると、

時間のリソースの自由度 10代>20代>30代>…


と思うんです。


いま、仕事をしていて思うことは「もっと若いころに勉強しておけば」と。いやいや、今からでも遅くないって思うかもしれないけれど、若いころには時間とそれに対応できる体力があるんです。その時間はやはり絶対的なフォースだと思うんです。


いくら30代で勉強をやりたくても時間のリソースは目の前にある傍から削られてしまう。削っているのが全部自分ならそれでもいいんですが、家族やら地域やらとなかなかコントロールできないようなことも絡んでくるのですよねぇ。


こんなことを考えていると、その年代で出来るコト、つまり、これからの自分にとっていつ役に立つかはわからないけれどそうしたことは自分のためにやっておけ、ということをツラツラと思うんです。