ネットにはシステムエンジニアの判断力を鍛える演習問題があるよという話


世の中、いろいろなご意見を持った方々がいてそれをど受け止めるか、と。例えば昨日はこんなことがありましたね。

AppBankからenishに熱い何事かが吹き荒れ騒ぎが拡大→(追記)元関係者から真相が暴露されるの巻→(追記)消されたのでこの辺に魚拓でも置いておきますねの巻


この魚拓を取られていたブログをfacebookで知って消される前に読んでいたんですが、しばらくしたところで削除されていて「闇を感じますね」と感想を書かれている人を見て、ネタ的に「同胞が庇護している」と思ったのは、ワタシは当事者ないのであずかり知らぬ世界の話だからあーだこーだは言わないよ、とおもっているからです。


昔、そう、小学校の道徳の時間で対峙する意見のどちらを支持するかということを先生が問いかけ、先生が自分を指すから思わず「両方の言い分はわかるから判断つかない」と言われて「優柔不断だ」と言われて「なんでだよ」と思ったことを思い出したんですがずいぶん根に持っているみたいに見えるね。>ワタシ


でもね、当事者じゃ自分の意見を主張するだけだろうし、有る事無い事都合の良いことだけを言うだけでしょう。悪いことも自分の都合よく使うのが戦略ですよね。だったら、対峙する意見を見聞きしたとしても「へーそうなんだ」くらいしか思わないんですよ。例えるなら、そういった話は2割、3割引は当たり前、的に話半分程度にしか真に受けないようにしているから。


じゃあ、当事者だったら、判断しなきゃいけないとしたらどうするか。そんなことはままないので考える必要はないのですが、訓練としては日々ネットでは演習問題があるとおもえばそれはそれでいいかと。


そういう前提、つまり自分が何らか判断し続ける立場にいるとして、対立する意見をどう判断していくか。


ワタシはとてもシンプルに考えるようにしているんですよ。ぶれない、後で説明がつく判断する軸を持つということです。あとで考えたら間違っているかもしれないけれどそのときの判断があとで追えればいいと思っているから。間違っていることがあとでわかったら、判断の軸が間違っていたと言うだけです。だったら、その軸を修正すればいい。シンプルでしょ。


目の前に並べられる事象をそのまま受け取っちゃうからこんがらがってくる。判断基準を作ってその軸で割り切る。だからあれこれ双方の事情を考えなくていいんです。


ところでその基準となる情報もないときがあります。そんなときはどうするか。世間にはそれなりに手本があるのでそうしたものを仮置きするんですね。公序良俗に反しないとか遵法精神とかルールとか。誰が見てもそうだよね、と思えるものをベースにする。こうした訓練をする演習問題がネットにはゴロゴロしているので判断力を鍛えるのにネットを見るのはいいと思います。