何歳まで技術を消費するシステムエンジニアで居続けるの


少し前に元ボスと飲んだときのことです。なんか元をつけると怪しそうな関係に見えるのは不思議だ…。


それはさておき、この元ボスはひょいひょいと出世してしまってすげー高いところにいるのですが、なぜか気が合うのでこうやって良さげなお店を見つけるとなんとなくお互いに一緒に飲みに行こうと、万難を排してそそくさと職場を後にするわけです。はい。


まー、エリートなんですよ。この元ボスは。ここだけの話な、とは前置きなどせずにえげつない話をサラッとお話になる。ワタシにお友達が少ないことを逆手に社内の人が聞いたら気絶しそうなことまで品良くお話になられる。


もうですね、エリートの世界はやっぱり学閥です。はい。この歳になって人生3回目くらいですが実感しました。そうしたアイテムをワタシはお持ちでないですから、そうしたフィールドに入るわけにもいかない。持つもの持たざるものの格差社会そのものです。とはいえ、そうしたことを知らなかったし、そうしたことを選択するための勉強をしてこなかった、という自ら種を蒔いて放置してきたのだから誰に文句を言うような立場でないし、いいたことあるわけでもないのですけど。


持っていないものを欲しがっても得られる可能性のあるものもあるけれど、そうでないものの方が世の中には多いわけで、こうしたことを踏まえると子供の頃は無理をしてでも勉強をしておけ、友達を作っておけ、なんですよねぇ。


勉強をしておけは、いろいろ理由はあるけれど一番の理由は選択肢を増やすため、です。相手の言っていることの真偽を見極めるためだという人もいるけれど、それって結局、真偽を見抜いたあとの選択肢を増やすためにしているわけです。本質はそっちです。


勉強自体は大人になってもできるし、システムエンジニアならシステムエンジニアから引退するまでは勉強し続けなければならないということはずっとこのブログでも書いていることですし、ワタシがリクルータや配属となった新人に言い続けていることです。


まあ、ひどい喩えをするなら、システムエンジニアは基礎スキルや技術スキルを向上し続けるために情報を探し回って飲み込み続ける鮪なのですよねー。


でも、エリートな方々の持つ学閥は後付けは無理なわけで。


で、ですね。持たざるものは持っていないなら、エリートだってそうそう持っていない別の武器を持てばいいと思えばいいわけです。実際に動かなければ意味はないですが。


その元ボスが言うには、ワタシには情報を発信できるメディアを持っている、と言うのです。ま、そうなんですが。ここ最近ですが、世の中に情報を発信しているのでそれを知っているからそういうんですよ、元ボスは。


ワタシは2つの観点でそうした活動をしているのですが、そのうちの1つは50歳、60歳とシニア層を超えたときのシステムエンジニアとしての働き方に疑問を持っていたからなんです。30代、40代の延長線上が自分自身の将来像なのか、と。ずっと中堅システムエンジニアなのか、それとも何かしら専門を持ったプロフェッショナルシステムエンジニアを選ぶのか。どの道を選べば歩けなくなるまで自分の専門で働き続けられるのか。


もう1つは、誰もが持っていないものを武器として持つことによるアドバンテージが欲しいな、と。


スタートアップと同じで持っているコアスキルを活用し、2つの観点の両方で使うようにすれば専門性もより深く広く研ぎ澄ますことになるので相乗効果が出ると思ったり、リソースの活用としての効率も上がると。なにより、新規で始めると可能性の見極めをしなければならないし、ダメそうならピボットしないとリソースがつきちゃいますし。


そんな活動を包み隠さず見せているので、元ボスはワタシの対外的な活動については一目置いているようです。


世の中のシステムエンジニアの大部分はワタシと同じ側、つまり、エリート側ではない方にいるんだろうなぁと思うわけです。ベースのパイは一緒と。であるとき、なんから自分のプレゼンスを持たないでどうするのかなぁと余計なことが気にかかる。


どこかで又聞きで聞いたことに唖然としたのは、技術はそと(インターネット)から持って来るからいい、というもの。なぜ唖然としたかというと、それじゃずっと消費するシステムエンジニアの立場から脱却しないんだけど、それってずっと誰かの後追いでいいんだっけ、と。


常々、年齢を重ねるとどこかのタイミングでコンテンツを消費する側から供給する側にならないといけないと思っているんですね。ワタシはやっとここ数年で提供側に立てるようになったのですが。


さて、さて、そうしたこともあって、今日も原稿を書くのです。