わたしたちはチームは成長すると無条件に信じすぎているのかもしれない
毎日、その日の朝に何を書こうかを決めるのですが、そのネタにしようと思うことはそのネタで書きたいと思うのは日中や夜でもあるのですが、ブクマしておくかリツイートかタンブラでもしておかないと忘れてしまうことが多くて、記憶力をすっかり外部ストレージに頼りきりの人生に成ってしまっているのがなんともトホホだけれど、これ、20年前だったら自分で必死にメモらないとどうしようもなかったんだろうし、そうしていた人だけがネタのストックをいっぱいにできたのかもしれないなぁと思う、どんよりした日曜の朝。さて、今朝は何を書こう。
なんとなく、はてなブックマークの新着や人気を眺めてみると、巨大な釣り針か若さ故の思いで書いている投稿を見かけて余計なお世話な意見を書き散らしたり、そうそうと思ったり。
そんな中で、ふと思いついたことはチームは成長するか、というテーマ。
何言っているんだとコメントつきそうですよね。そういうワタシだってチームは成長すると思っているわけです。成長しないなんてありえないだろう、って。
チームは成長することを無意識に「成長するものだ」と思い込んでいませんか。
そうなんですよね、チームが編成されたらチームは一緒に目標を達成するために行動し、成長していくものだと思い込んでいたんです。
もしそれが正しいなら、正しいというか考え方と結果の方向性が合っているならそれが成長と言えるかもしれませんが、でも現実の世界ではチームの成長、成熟度が上がらずに困っているわけです。
その証左は、数々の書籍になっていることでわかります。そう言われればそうかな、と思えてきますよね。そうなんですね。成長したくても成長できないチームの方が多いのかもしれないのです。
あるプロジェクトチームが編成されたケースを思い出すと、そのチーム、チームである必要があるのか、という感じでした。それぞれ担当領域を持たされて、それぞれで進めていく。相互に関連することもあるが、それを機にする人もいるがサッパリ気にしない人もいる。
チームは2つあったけれどそれぞれのチームのリーダは、いわゆるプロジェクトマネージャのように目標に向かってメンバ全員が進捗するように進めるかと思えば、ここのメンバに任せ、進捗上の課題の相談とアウトプットのレビューしか関心を持っていない。まあそんな仕事の仕方をプロジェクトと呼ぶのか、という気がしないでもないですが、業務の内容は繰り返すルーチン枠でもないし、テーマは期限があるしでプロジェクトの要素は揃っているのですよね。
この事例から分かることは、プロジェクトチームであっても成長しないチームは存在するということです。なぜ成長しないのか…。ふと気づくことは、あるものが欠けていたんですね。
時々書いていることで、プロジェクトはプロジェクトの目的を達成するために構成されるものです。その目的を分解するとアウトプットになります。そのアウトプットを実現するためにはそのアウトプットを作り上げるためのスキルと相応のレベルが必要になります。
プロジェクトの目的のアウトプットを実現するために必要なスキルのセットはチームとして持っていることが必要です。そのチームとしてのスキルセットとレベルを持っている人を調達することで、チーム全体としてみればプロジェクトの目的を達成するためのリソースを確保できた、と言えるわけです。
プロジェクトマネージャやマネージャは、調達した人をバラバラに見ることばかりしていては木を見ず枝ばかり見ているようなものです。チームが木でメンバが枝。細く弱々しい枝ばかり見ていても木としてつける実が得られるかどうか怪しいものです。
木として、全体としてのパフォーマンスを見なければならないのです。全体を見るから、どこの枝を伸ばし、どこの枝を整理するかを判断することができるわけです。その判断の積み重ねが木であるチームの成長になるわけです。
メンバをピンポイントで見ていたら、木としてはどうでしょうか。木として、全体としての成長させたい目線で見ているかと問えばそうだとは言い切れないでしょう。
そのチームのリーダは、「仲良くやってくれ」とは言っていましたが「チームとして目標を達成しよう」とは一度もいうことはありませんでした。そのチームは、チームとして一つになることはなく、プロジェクトの目標にギリギリ合わせてくる程度のアウトプットを出すことでなんとか続けているのでした。
ワタシたちは、チームは成長すると無条件に信じすぎているのかもしれません。期待する結果を得られるように行為もせずに、何かが変わることなんてないのは知っているのに。