SESは消滅すべきか
SES(システムエンジニアリングサービス契約)の意味を一度確認してみよう。
SES契約は労働法規などでは業務請負の一種とみなされる。このため、労務管理や指揮命令系統などが発注元企業から独立している必要がある点が、発注元企業による指揮命令の下で業務を行う派遣契約との大きな違いである。賃金は技術者の労働力に対して支払われ、システムの完成は支払い要件には含まれない。 民法での典型契約が委任であっても、下請法における取引が「情報成果物作成委託」や「役務提供委託」であっても、労働者派遣法や職業安定法の区分基準では「業務請負」であり[1]、違法派遣や偽装請負に該当しないように注意が必要である。
要約すると「自社の指揮命令の下で労働力を提供する」ということだ。興味深いのは民法と労働者派遣法及び職業安定法の区分基準が違う点である。
さて、なぜSESを読み返したのかというと、SESは消滅すべきだ、と主張するエントリがある。
色々と書かれているが消滅しなければならないほど悪なのだろうか。まず、誰かが何かを主張したら、疑って掛かることにしている。それでホントらしければそうなんだーだし、怪しいままであればそれも「お前の頭の中ではな」ということだ。
多分にもれず、このエントリも同じである。嘘はないが書き手の思いでバイアスが掛かっているのは当たり前であるから、そうしたこころ持ちで読み進められると良いだろう。
引用したエントでの標題を拾うと7つある。一部、冗長的な項目がある(項番3−4)が項番4は項番3のサブセットにしておくほうがいい。4の原因が3だからだ。
価値がない
些細なこと(もしくは解釈の違い)はいいとして、価値がないというのは、多重構造の中で二次受け以降のSES会社が価値を提供しているのか、ということを問うているのだろう。
Wikipediaの定義によれば労働力を提供するのだから、提供された労働力に対価が支払われているのであれば、価値は提供されると看做して良いのではないか、と思うのだがどうだろうか。
偽装請負
上記の項番3と4については、記述の通りの問題を孕んでいるし、実際、労基はそれが事実と判断すれば改善指導をするようだ(ようだ、としたのは実際指導されたことがないため)。
労働管理ができない
では、全く回避できないか=遵法するためにはどうあれば良いか。それは、何重であっても、SEとSEに指揮命令する役割の管理職が、プロジェクトの計画を立てる場に出席することだ。具体的には、進捗会議などの場で作業計画を委託元と協議し、委託元から受託会社のSEには作業子をしないことを徹底すれば良い(出来なければ違法)。
構造的に生産性を下げる
これはSESに関わらず、中規模以上の、いや10人を超えたあたりからコミュニケーションパスが増えすぎ、コミュニケーションコストがバカ高くなることを知っていれば、こう行った書き方にはならないのではないか、と思うのだが。
更に言えば、ウォーターフォール形式のプロジェクトでは、局面を分断することが前提となっているので、局面ごとに情報の受け渡しが行われる。この局面を変わるタイミングで人員の増減を合わせるため、コミュニケーションコストは更に悪化する。
もともとのプロジェクトで採用するシステム開発手法に構造的な生産性を下げる要素が含まれており、それをSESが原因であるというのは些か違うのではないかと疑念が生じるがいかがだろうか。
エンジニアをダメにする
ここは評価が分かれるところだろう。ワタシのようにサブコンでの経験がプライム案件で必要となったプロジェクトマネジメント やウォーターフォール型でのシステム開発の体系的な復習の場になったケースもある。
一方、工程の繁忙で労働集約の局面だけ召集されるエンジニアに取っては、属する組織のビジネスにプライム案件がなければ要件定義や基本設計などの上流工程やシステムテストや移行など、システムリリースの経験がすっぽりと抜けてしまっているケースもあるだろう。そうしたビジネスを主体とするSESに属するエンジニアがダメになるという点においては同意する。
日本のIT業界をダメにする
これは責任を押し付けるつもりではないが、顧客の要望からそうしたビジネスが成り立っているということを棚上げしていないだろうか。需要があるから供給が生まれるという理屈だ。であれば、IT業界をダメにしているのはユーザ企業であるということになる。
この点については、ユーザ企業のIT部門の弱体化で問題視されているのでそちらの記事を日経BPででも探して欲しい。
そうした意味合いでは、SESは必要悪なのかもしれない。ただ、欧米でアウトソーシングから内製化に回帰しているように生産能力をユーザ企業が取り込もうとしているのはここ最近のアジャイル界隈の事例でも出てきているのでそうした必要悪による副作用に気づいている組織(例えばデンソーなど)は対策し始めている。
個人的な見解
SESも一つの手段、道具であるとみなせば良いのではないか。それをどう使うかは使うユーザが判断すればいい。エンジニアの立場では、労働集約的なクローズドな局面だけのビジネスをしている組織が不満ならはなから避ければいいし、万が一、属してしまったらとっととやめるのが良いのだろう。
ただ、そうした労働集約的な作業を好むエンジニアの存在もあることを忘れてはいけない。そうしたエンジニアに自己研鑽や成長を語っても響かない。
パレートの法則はここでも生きているのだ。
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