質問ができるようになるために必要だったもの
今思い出しても、エンジニアとして仕事をし始めた頃からしばらくは、本当に期待されている成果が出せていなかった。技術力が全くマッチしていなかったというか、技術力も知識もなかったので、何がわからないかそれさえわかっていなかったのではないかと思う。
みなさんにとっては当たり前なのかもしれないが、こうやればこういう結果を得られるという仕事の仕組みの勘所がわかるまで、仕事の理解もわからないことの質問もろくななものではなかった。
では何をきっかけに仕事を理解したかというと、こうすればこういう結果になるだろうと仕事をする前に、期待する結果を期待するとおりにできるようになってから、ではないか。ここが変わったポイントだとはっきり言えないのは、いつの間にかできるようになっていたからだから、としか説明しようがない。
その『こうすればこういう結果を得られるだろう』と思うために、裏には、体系的な知識や実体験が必要だ。まず、こうすれば、の『こう』を知らなければそれを思いつかない。『すれはこういう結果を得られる』も『こう』の行為の結果であるから紐づくのも当然である。
『こうすれば』を別の言い方をすると『引き出し』ということがある。とにかく知っていなければ、引き出しにもならない。順番的にはある程度の成功体験を得て、仕事の仕方を覚えたのだろう。その後で、体系的な知識を得て、結果的に引き出しを一つ、一つと増やすことができたのかもしれない。
そうした積み重ねは、『こうすれば』と思うようになり、知りたいこと、理解したいことを質問できるようになったのだろう。もしそれが他の人にも当てはまるなら、仕事の成功体験と体系的な知識の習得を本人の意思で得られる環境を作ることが必要なのだろう。