代わりを作ることは将来の投資
もしバスに轢かれたら
よく、冗談で言うんだけど、
「明日出張で乗っていた飛行機が落ちたら後は任せた。」
「今日の帰りにバスに轢かれたらよろしくね。」
など、チームのミーティングの場でまるで他愛のないのないようにゾッとすることをワタシが言う。
それは、確率的に早々起きるものではないし、実際に起きたら困ることではあるが、それでも、
“本当に起きたら困るのはチームなのだよ。”
と秀徳の緑間のように言う。いや、そんな風には言わないけど。
システムエンジニアとして自分のスキルを身につけ、独り立ちし、自分の進む道を試行錯誤しながら進んで欲しいと思っている。だから、ワタシだって今のままでいるわけではないし、組織は組織の都合で新しい仕事を振ることもあるだろう。
いつまでも、直接チームのことに関与できないのは変遷することが求められる組織としての成長だからだ。だから、チームのメンバだって入れ替わるし、ワタシだってここに来たように去っていく可能性は高いのだ。それが組織が成長するための新陳代謝であって、それがなければ組織もチームもメンバも風化して消えていくだけだろう。
だから、ね、言うんだ。
「もしものときは後はよろしく。」
と。
日常にある業務のカバー
大げさに「任せた」と書くと上述したようになるけれど、普段からメンバに任せることはあるものだ。急な病気や夏休みや忌引きなど、それこそ日常として。
縦割りの役割分担で上手く行くのは、その担当が常時複数いるからであって、且つ、情報が常に共有されているから。担当する業務が一人も割り当てられていなければ、それは、何もしなければ誰もカバーできないし、どうしても休む必要があれば、上司が変わる他ない。もし、上司も変われなければ、アナタは休めなくなる。
ずっと。
代わりを作ることは将来の投資
アジャイルなチームは自律して夫々のメンバが自ら考え、動くことを要求する。それは、自ら気付き、困っているメンバがいたらデイリースクラムやバーンダウンチャートなどのツールやコミュニケーションを媒介に反応し、カバーを“お互いに”できるように促す。
普通の業務であっても、ウォーターフォールであってもそれは、そのような“家風”を作り出せば同じようなことができる。なんら、難しいことではないし、しなくてはならない。
自分の都合で休みを取りたいと思うことは、若いうちは自分の急な病気などがほぼ占めるだろうが、30代、40代と駆け上がる度に自分でコントロールできない休みの理由が増えていく。だからこそ、その年代の人は自分がいなくても業務が回るような仕組みを気にしなければならないし、実際に実行しなければならない。
自分でコントロールできない休みのため意外でも、自分がこの先、挑戦の時間を作るためにも業務が回る仕組みを作ることはひつようなのだ。それは、将来の自分の時間を作り、新しい領域にチャレンジするための時間というリソースを確保するためでもあるから。