ブログを書き続けアウトプットして学び続けられることがエンジニアとして幸せなのである

ふと思い当ったことを。Project Management Professionalを取ったのは所属する組織では片手の範疇で周りからみたら「アイツがPMP取ったのか?」的なそれなりにインパクトのあることらしかった。だから、合格早々に、ビジネスユニットの全体会議でプレゼンするように依頼されたり、その後も何回か個別に出向いたものだ。

プレゼンすれば、プレゼン資料を分けて欲しいと言われるので分けたけれど必ずPDFでコピーを送った。PDFで資料を分ける理由は、今ならフォントを使い分けているので使用しているフォントが閲覧者のPCに入っていないとこちらのこだわりも伝わらないから、という尤もらしい理由があるのだけれど、当時はそれはなかった。それがなんでだろうなぁ、って。


先行者のアドバンテージ
自分の居場所で、誰よりも先に何かに挑戦してフィードバックすることでそれが組織において何等か有用か関心を示すものであるなら先行者としてのアドバンテージを得られるものだ。人より先に手を付け、試行錯誤し、暗黙知を得て、何らかの形式知を作り出す。形式知までたどり着けているからこそフィードバックできるのだ。


PMPの認定を取った当時は、実は中堅だったにもかかわらず、自分の技量に自信がなかったのだ。コーディングなどシステムエンジニアなら当然求められるスキルセットが控えめに言ってもだめなのである。でも、システムつくりに関わりたいという思いが別の道を探り当てたのだ。その行動の結果としてPMPの認定に繋ぐことが出来たのだ。情報処理試験のプロジェクトマネージャは確かに受験料は安いけれど、試験でのアウトプットとCTBのPMP試験のアウトプットを比較してPMPの認定を選んだ理由の一つだった。


何れにしても、ワタシの都合で当時のワタシにとって一番価値のあるものを得て、それを先行者のアドバンテージとしたのだった。


実は先行しているつもりでもつもりだったのかもしれない
ワタシの場合、それは本当にアドバンテージだったのだろうか。今思えばそのアドバンテージ自体、幻想だったのかもしれない。幻想とまでは言わなくても、かなり危なげなものだったのかもしれない。今なら、こう言うだろう。「資料欲しいんだって。いいよ。どうぞ。」って。


何が違うのだろう。それは、欲しいと思うモノによりキャッチアップされるまで余裕があるし、その間にこっちも先に行けばいいんだから、と思う事もあるし、マネージャをするようになってメンバが育つのをみながらメンバに「ワタシを追い越せ。」と言うようになって久しいからかもしれない。


一つは先に行っているので追いつこうと思ってもこっちだって負けないよ、という気持ちであり、もう一つは、後から追いかけてくる人が学び得たものをこちらにもgivebackしてもらおうと思う気持ちがあるからだ。


上から後続する人を見ているのではなく、同じフィールドに立つプレーヤとして見ているのだ。だから、競うし、give and takeをしたいと思うのだ。


学びをするときにtakeばかりする人たちの群を良く見かける。その群れの人は、takeばかりして読んで自己満足して終わっているのではないかと思わざる得ないことが多い。だって、その群れの人が自ら率先してgiveすることがないのだもの。


知の確立は知を分けられることで知る
自分が得た知はどの時点で確固たる自分の知となるだろう。たぶん、自分の言葉で言い換え表現できるようになったら、その状態になったと言えるのではないか。それは、実際、学びをブログやスライドに書き出すときに自分の言葉で伝えたいことをどう伝えるか思考する体験を重ねることでそのことを強く感じるのだ。でも、まだ先があって、自分の言葉で言い換えた知を人に分け受け取ってもらうところまでがその範囲なのではないだろうか。


それを表現して分け与えられたらgivebackになるのではないか。得た知を自分の言葉で言い換え、それを分け配り、受け取った人からのフィードバックを取りに行き、自分に再投入するサイクリックなループが知なのではないか。そんな風に思うようになった。


そんな風に思うようになったのは、このブログなどでアウトプットをひたすら続けていることも、学びを組織の中のコミュニティをとおして続けるようになったことなどがあってワタシのマインドセットを変え続けているのだろう。


今、こうしてブログを書き続けアウトプットして学び続けられることがエンジニアとして幸せなのである。