自分の仕事のやり方は自分で決められる
忙しいね。年度末だからかな。バタバタと忙しい。デスクに座っている暇なくやれこっちの会議室、そっちの打ち合わせコーナーと移動して、一体何時自分のアウトプットを出すのだろうか。PCのブラウザは常時上げたままで幾つもタブでWebサービスを開きっぱなしにしているけれど、それを眺める時間がないんだ。その上、時間の隙間で気分転換に本を読もうとデスクの上に毎朝置くのだけれど、それを開くことは稀で毎日仕事場と家の往復だけになってしまっている。ただ、どれだけ忙しくても幸いにしてデスマに巻き込まれていないことが何よりの救いなのかもしれない。
ココロが躍ることが一つでもあれば
いくら忙しくてもココロが踊るようなワクワクするようなことが毎日一つでもあればいいのだけれど、それも余りないのも事実だし、毎日一つでもわくわくすることが起きるような仕事だとしたらそれはそれで疲れてしまうかもしれない。でも、そのほうが良いや、退屈よりは。
自分の仕事のやり方は自分で決められる
だから、自分で新しいネタを常々探し、自分のものにしたような顔をして、自分の仕事の中で実践することで自分の退屈な日常を刺激の中に放り込む。自分で自分の仕事のやり方を工夫してもいいんだと知って実践できることはとても精神的に大きい。組織のルールから自分勝手に逸脱することは組織としての行動としてはいけないけれど、自分の仕事の仕方のプロセスまで規定されていることは少ないからそれはそれで裁量の中で収支を合わせればよいのだ。それを知っていれば幾らかでも退屈な仕事も楽しくなるのに、そのコトを知ってか知らずか自分で変化をしようとしない人が多くいるのは私にとってとっても不思議なことだ。
毎日同じ食事なんて真っ平だ
毎日同じものだけを食べていたら飽きてしまう。それを変えること、変化させることはするのに仕事ではさっぱり変化することを試みないなんてなんてばかげているのだろう。勿論帰られない仕事もあるのだろうけれどそれは今は範疇が意図して棚に上げてそれ以外の多いだろう領域で。
特にエンジニアの仕事はデザインと言う名の設計とコーディングにおいて裁量が最大限にデレゲートされているものだ。へぼいデザインをしようがリファクタリングで洗練されたデザインをしようが実行プログラムとしてリリースされたら、同じ結果を生むならどちらでも同じなのだ。それであっても全面的に裁量を渡され好き勝手に工夫し放題の自分だけの王国において何も工夫しようとしないなんて、一体何の喜びがあるのだろうか。
誰だって認めてもらいたいと思っている
エンジニアだって人であるから人のよさそうなことは真似をしたいし、自分がデザインしたプログラムがいいね!と認めてもらいたいのだと思っている。エンジニアほど承認要求が高い職業はないのかもしれないとも思うこともあるのに、キッカケの場を作ってもそれに関心を寄せず毎日同じ食事で済ませるエンジニアが相変わらずいる。
価値観が違うのだろうと言い放つことは簡単なことだけれど、それでは面白くないじゃないか。だから、そうしたエンジニアにも向かって言うのだ。
退屈な時間を過ごしてしまうくらいならその時間を一度だけ一緒に過ごさないか
「どうだろう、そろそろ今の食事に飽きた頃じゃないかな。こっちにちょっと刺激的なメニューがあるのだが試してみないか。」と、そういって誘い続けることが今のワタシにできることだ。そうして一人、ひとりとワタシが持つ場に来てもらい、仕事のマインドセットをちょっとだけ変えるキッカケになればうれしいのだ。ワタシだって、そう思ってもらうことが認めてもらえたと感じる瞬間なのだから。