違和感を感じたら、見えないトラブルのタネがそこに潜在しているかもしれない


プロジェクトメンバのアウトプットや振る舞いに違和感を感じるのは何かのサイン
プロジェクトをキャリーしていていれば、プロジェクトメンバがdeliverableを作るためのアクティビティやそのアクティビティのための準備をすることに日々関わることになるわけです。


何を作るかをその作るものの準備をしていく中で、特にアクティビティのための準備や作るものの完了時の品質がとても気になるから、そこにワタシの関心を最大限ぶつけることになるんです。


例えば、作業の準備の資料を見たいと思ってみると必ずどこかに違和感を感じるところが出てくる。その違和感は大なり小なりあるんだけれど、何もないことなんてほとんどなくて。


作業の準備の資料で違和感を感じるのは、それは準備には必ず入れていて欲しいことが記載されているかという体裁的なものもあるし、そのプロジェクトやその作業を経て得たナレッジからくるようなものからだったりするんですね。その違和感を感じるのはそもそもどこから?と聞かれれば、その作業をとおして得るべきものが想定とおりに得られるかどうかを気にしているから、なんです。


違和感はやってほしいことをやっていないから
なんらかの作業をするにはリソースを掛けないと結果を得られないし、リソースを掛けた以上は期待する結果を得たい、と思っているからです。やってみて「リソースを10掛けたけど3しか得られなかったのか。こんなものか。」なんて微塵も思いたくない。


ケチと言うか、ムダなことをしたくないというか。プロジェクトであるからこそ、人のリソースも時間のリソースも有限で有限であるからこそ何も考えずにやってみて失敗した、なんてやりたくない。


そんなことをやってムダな時間を使うなら、1回でやってその分早く帰りたい。だって3週間くらいアニメ溜まっているんだから。HDDパンクしちゃうよ。


ワタシにとって違和感はトラブルのタネ
そうじゃなくて、違和感を感じるところがそれを実際にやると必ずトラブルを生むタネだったりするからです。それは経験則としか言いようがないけれど、でも大体その違和感を見過ごすとあとでやっぱりあのときの、って思う事ばかりなので、それをリカバリすることなんて一切したくないから最初の準備に時間を掛けるんです。


そんなことでやっていると準備に時間ばかりかかると思うかもしれないけれど、それは上手くいかない時に現場で計画に掛ける時間の何十倍のムダな時間を費やすことを考えたらゴミみたいなものです。それがメンバにはわからんのです。


なので、準備に時間を掛けたり、することは止めないし、それらをどうやるか振る舞いを聞いてその振る舞いに違和感を感じないかをただそれだけに関心を寄せていくのは単純にリカバリが嫌いなだけなのかもしれないけれど。