プロジェクトマネージャを続けられるワタシの目的とはなんだろう


そう言えばなんで「プロジェクトマネージャを選んだろうな。」とRSSで購読している記事をパラパラ読みながら頭の中にこびりついたまま剥がれもせずに暫く残っていたのでちょっとだけ妄想してみたり。


システムエンジニアの職種として「プロジェクトマネージャ」を選択した経緯は何度か思い出したように過去のブログのあちらこちらに書き散らしてきたのでそちらを、と書きつつも適切な検索キーワードが思い当たらないのでここまでにして。


どちらかと言うと、「プロジェクトマネージャをキャリアとして選んだ」と言うことよりは、「プロジェクトマネージャを続ける目的」の方が妄想したテーマとしては違いかも。


プロジェクトはスポンサーからバジェットを貰って、スポンサーの要件を実現するわけですが、その実現が出来たときの喜びとか達成感とかがワタシを駆動するかと言えばそうだけれど、それがメインの機関でもないようなきがするんですね。


じゃあ、何のためにやっているんでしょうね。>ワタシ。


そうか、プロジェクトマネージャを続ける「目的」か。それ、なんだろう。


プロジェクトをキャリーして、プロジェクトの目的、目標を達成するために人や物のリソースを集め、夫々のリソースに要求するスキルや資質を活用して進めるのですよね。その点からいえば、プロジェクトメンバはプロジェクトの目標を達成するためのツールになるわけです。人なのでこうした表現はちょっと気に障りますね。でも、SIのプロジェクトならほとんどのコストは人件費だもの。ただ、その言葉の額面どおりにプロジェクトメンバのスキルをツールとして扱ってしまうのはやっぱりワタシの感覚とは違うんだな。


もちろん、プロジェクトにアサインされる以上、要求するスキルとそのレベルがあって、それを期待どおりに発揮してもらうことは要求するけれど、それはそれで、そうした計画なのだからスキルを求める側の需要と求められるスキルを供給する側が許容範囲の中で折り合いがつくなら、それは幸いなことです。


妄想をしながらよくよくワタシの行動をふりかえってみたら、「1つのポリシーでプロジェクトメンバと付き合ってきた。」と思い当たったのです。それは何かと言えば、

「プロジェクトの目的を達成するためにアウトプットで話す。」


何を言っているかと言うと、タスクの指示も進捗の信憑性もタスクの完了もアウトプットベースでコミュニケーションする、ということです。会話上、誰がとかとか話しかけますが、なんか自分で書きながらひどい奴に思えてきたんですが……、タスクを実現するのはプロジェクトに必要なスキルがやってくれるんだと考えています。だから、メンバの持っているスキルがアウトプットの善し悪しを決めるんだと。


ところが一方、そのスキルのプラットフォームはメンバ自身だし、プロジェクトを運営するしくみはプロセスなのです。つまり、人の上に載っているし、その人はプロセスの上で歌って踊るわけです。


さて、歌って踊ってもらうのだから、スキルの善し悪しを責めても意味がないと思うし、そのメンバ自身を責めるなんてまったくもってナンセンス、だと思うのです。それより、アウトプットを如何に効率良く提供してもらうかに注力した方がいいと思うのです。


謳って踊ってもらうんだから「気持ちよく」やってもらえ、と。


だから、対人関係は良くしておきたい。こっちが与太話を振ることもあるし(迷惑?)、ご飯も一緒に食べられるのなら一緒に食べた方がいい。でも、アウトプットに対しての要求はとても高いレベルで要求します。もちろん、やる前にアウトプットのイメージを合わせてから、ですが。判断するcriteriaはメンバのそれではなく合意した、です。なので、勝手な基準で判断するとダメ出しします。はい。


そんなもので、何かあっても個として責めたりはしなけど、コミットしたアウトプットのcriteriaは守ってね、です。そのためのパフォーマンスを最大限なのか定常運転でなのかはメンバ次第ですが期待するアウトプットレベルが得られるようなチームと仕事が出来ることがワタシがプロジェクトを続けられる目的なのかも。