流行りの技術と普遍の技術
そろそろSEリーダになって欲しい中堅クラスのメンバと面談の場で目指す将来像を聞いてみると、どうもはっきりしなかったんですね。
歯切れが悪い感じで、確かに言われればSEリーダをやってみたいし、あまり責任を持つようなロールにはつきたくない、とも。そうですねぇ、自分の進路を決めかねている風でした。
たしかに、プロジェクトにアサインするとそのプロジェクトマネージャら仕事に対する誠実な取り組みや明るい性格や責任感は信頼を得ているようでしたが、切羽詰まるような状況になると頭の中が真っ白になるようでそうした時にプロジェクトマネージャは、まだSEリーダは時期尚早と感じていたようです。
とはいえ、このままではメンバの持っているだろうポテンシャルも今後に担って欲しいキャリアも余り良いことはないな、と思い考えたんです。
なぜ、頭が真っ白くなるのかな、と。
メンバは、特定分野の技術は一目置かれる存在でした。だから、その技術を扱うプロジェクトではリスクエストがあるのです。でも、その技術を使わないプロジェクトからは声がかかりません。
こうしたケースは割とあると思います。技術が複雑化し、更新される頻度が速くなれば、あれもこれも追えなくなるからです。そうした技術の分業制が進むとその特定の技術だけで日々の仕事ができればいいと思うシステムエンジニアがはびこるようになります。
たしかに特定分野の技術の第一人者になることができればそれはそれでその先も食べていくことはできるかもしれません。しかし、そうした人になれるのは一握りだけでしかありません。多くのシステムエンジニアは継続した技術の拡大と深堀を怠った結果、組織のお荷物になる可能性を自ら作り続けることになります。
ワタシ自身、頭が真っ白になるとかこの人たち何言っているの、的な会話についていけない時期がありました。それは、なんでなんだろうと、どうしたらそうした脳細胞の停止を防げるようになるのだろうと考え方ことがありました。
そのときの結論は「思考を自分から止めない」ということでした。自分から思考を止めないということは、その場の当事者になるほかありません。場の当事者になるということは、その場のテーマについて自分で理解し、整理し、答えを導き出して、自分の言葉で意見を言えるようになる必要があります。
そのためには、そうした場のテーマについて知識を自分から取りに行ったり、情報を収集したり、集めた情報を自分なりに解釈して、自分の思考をロジックに組み立てる必要があります。そうしなければ自分の意見として、考えとして伝えることができないからです。
それができるようになったらどう変わったか。自分の意見を言い、自分の意見も一部でも取り入れらるようになると自信を持てるようになるんですね。
じゃあ、そのメンバも自信を持てる「もう1つの何かを手にれたらいいんじゃね」と思ったわけです。なるほど、自分としては良い考えだ。
でも、今メンバが持っている技術とは別の、例えば近隣の技術を習得させても何も変わらないんですね。流行り廃りがある分野であれば、廃ったときのリスクを負わなくちゃいけない。
それはちょっと違うな、と。どうしてももう1つ技術を習得しなければならないなら、この先も変わらず残る技術を身につけないとシステムエンジニアとしての技術のポートフォリオが偏ってしまう。
だから、普遍的な技術を習得することを何度も伝えました。そのメンバには具体的に
「これを習得しないと生き抜けないよ」
とまで言いました。
あるプロジェクトの途中、そのメンバのところに近寄って様子を聞いてみたところ、そのメンバからこんな言葉をもらったんです。
「しつこく言われたので今回は1回チャレンジしてみたんです。そうしたら、すごくいいです。便利です。」
「なんでもっと早く言ってくれなかったんですか」
ですって。言っていたじゃん、って。なんどもね。そのメンバはそれ以来、とても自信を持って仕事をするようになったとプロジェクトマネージャが言っていたのを聞きました。
それからそのメンバはSEリーダを担えるようになったのはご想像のとおりです。