「でもやるんだよ」とプロジェクトマネージャは自分に指を向ける


「でもやるんだよ」は「因果鉄道の旅 (幻冬舎文庫)」が元ネタなんだね。知らなかった。


で、この「でもやるんだよ」は自分に向けていう言葉なんだよね。他人に対していう言葉じゃない、と思う。元ネタのオヤジが言っているのをみてもそう思う。


この「でもやるんだよ」は自分の価値基準をもとにしているんだよね。ある意味経験ベースのリスク対策なんだわ。あとで何かあったときに自分に対して「ここまでやったのに」というね。


で、このネタを知ったのは割と最近なんだけれど、この「でもやるんだよ」は先に書いたとおり「自分に指を向けて」使うんだ。


ほら、気が向かないというか乗らない仕事ってあるでしょ。仕事場でも家でも。もう、手数ばかりかかって面倒なやつとか。そういう仕事をするときに「でもやるんだよ」と重い腰を挙げさせるのに使う。そうしないと急ぎでない仕事を先に手を付けたり、ネットで時間をつぶしたり逃げちゃうんだから。


でもね、「でもやるんだよ」をついつい言いたくなる場面があるんだ。例えばね、プロジェクトの報告を聞く場でプロジェクトマネージャが多忙や他責を理由に設計の品質検証に手を付けていないときとか。


プロジェクトマネージャのキミがプロジェクトで設定した品質目標を達成するための活動として最終的な品質の検証をしなければ誰が担保するんだよ、って聞きたくなるわけ。


その返答が他が忙しくて、とか、どこどこが遅れていて、とか説明されてもさぁ、それをプロジェクトマネージャが受け入れるのはキミのプロジェクトの価値観で判断すればいいけれど「それと品質の担保は別だから」なんだよ。わかっているのかね。


キミが出来ない理由を並べるのは結構。大いに結構。だけれど、プロジェクトで定義した品質を確保できているなら、ね。


この定義は崩れないし、覆らない。だってプロジェクトマネージャがプロジェクト計画を作るときに設定するものなんだから。


プロジェクトマネージャのキミには選択肢が2つある。このまま品質の検証をやらずにリスクを抱えるか、時間とリソースを捻出してやるのか。


品質の検証をしないで次工程に進むのは「品質の借金を抱え込むこと」と同じだ。いまならたった数時間で済むものを次工程に入って進捗が進むとあっという間に品質の借金は膨れ上がる。それがリスクだとわかっているのか。そういうことなんだよ。


そうと改めて説明をきいたなら、実は選択肢がないことに気づく。そして、こう思うしかないんだ。

「でもやるんだよ」


プロジェクトマネージャのキミが自分に指を向けてね。