プロジェクトのレポートを読んで健康状態を知るためには邪気眼が必要なわけ


プロジェクトの状況がおかしいかどうかはレポートだけでも見抜けないときがあるし、EVMやWBSの定量的な数字だけでは見抜けないときがよくあるんですよ。


先日も、ちょっときな臭いプロジェクトがあって進捗をWBSで見ていて、裏ルートから聞いている情報と定量的な情報と「違うなぁ」と。何が違うかというと、現場からはとても忙しい状況なことを耳に挟んでいたんですね。一方、レポートでは、ほぼオンスケで上がってくる。


この定量的な進捗のレポートのいいところは、閾値を設けてそのボーダーラインを踏み抜くタイミングを監視することで第三者も気づきを得られる、というものだけど、プロジェクトサイドがそうした第三者の介入を歓迎していない場合は嘘にならない程度にバイアスをかけてくるですね。こうしたある意味対策なことは最近の流行りではなくて、だいぶ昔からある伝統芸のようなものです。そのバイアスをかけて虚偽報告でない範疇であるとか、まったくの虚偽報告で上げてきたりすることは逆の悪いところです。


定量的なプロジェクトの健康状態を把握することがいまいち良い面も悪い面もあるとするなら、文章で書かれるレポートはどうでしょうか。


言葉やパーセントで進捗を表現することでプロジェクトの健康状態を嘘偽りなく表現しきれるのか。関係者の誰が見ても、と条件を置いてしまうと答えは無理ですね、というしかないでしょう。


ひとつは報告で報告者が選ぶ言葉の問題。トラブルが起きていたとしてもポジティブにもネガティブにも取れる言葉を選ぶことでどのようにも表現できるからです。さらに、その恣意的に選ばれる言葉を受け取る側の語彙や気分やそのときの関心事によりレポートの受け止め方が違ってくるんです。これはどうしうようにもない。


こうした状況であっても、報告する方は報告する側の都合でレポートを作るので、報告を受ける側は正式に上がってくるレポート上でプロジェクトの健康状態を測るしかないわけです。


ただ、全くもって上がってくるレポートで騙される他ないのかというと、裏ルートの情報がなくても何か必ずヒントというかほころびがあるんですね。ヒントというか。


それを目をそれこそ皿のようにして、五感や第六感を働かせることなく、普通に、進捗の予実の較差や予定と実績日の未着手や完了遅れの幅によって予見することができるし、課題管理の進捗状況や更新状態、さらに管理されている状態を眺めるだけでも予兆を見つけることができるのです。


つまり、レポートを受ける側が上辺だけで見ていたら、報告する側がちょっとお化粧したレポートを作ったら見逃しちゃうよ、いうことになるんですね。


ただ、そうしたことを管理のための管理の報告資料を増やしたり、レポートを受ける側が楽をするために現場に負荷をかけることはプロジェクトの健康状態をしるためのポレートの主旨からだいぶ外れてしまう。そうならないようにしなくちゃいけない。


プロジェクト運営の相談をプロジェクトマネージャからうけながら、自分でどう運営したいか当事者意識を持ってプロジェクトをキャリーしないと管理のための管理の負荷が増えちゃうぞ、と思いながら聞いていたのでした。