自分の頭の中の知識を嘆くより現状を理解できずそこに居座ることを問題視しよう

「あぜをコンクリートで固めるのは自然破壊ではないか?」→「日本住血吸虫症 地方病でググれ」→ウィキペディアの記事が感動的だった をみてウィキペディアのそれを読みましたがものすごいボリュームに「ふぇー」って思いましたね。これをまとめて載せる労力とそれができる知力に。パチパチ。世の中、知らないことばかりですねー。件の吸虫症も平成一桁年で撲滅宣言だからついこの前ですものね。ただただ感心するばかりです。


ワタシの周りには知らないことばかり
地方病の件は地域性とか専門性があってあてはまるかわかりませんが、こうした知らないことばかりだなぁと思うんですね。「何も知らないなぁ」って。知らないことが良いことだとか悪いことだとかでもなくて、そういうのあるあるだよね、みたいな程度の話です。


この状態って自分が知らない現状を受け入れているわけですが、現状の自分を受け入れるって割とできている人っていないんですよね。


ワタシがこの現状を受け入れられるようになったのは仕事を通じて経験した学びからなんですよね。あと、前後ははっきりとはしないけれど読んだ本の知識もあるかもしれないですが。


ワタシの周りには優秀な人ばかり
ワタシの周りってみなさん優秀なんですよ。簡単に判別できるのは出身校ですね。その学校に入れるだけの勉強をしてきていることがわかりますから。たまたま、そんな中で仕事をすることに巡り合わせがあって今に至っているわけですが、そんな中でワタシも生き残らないといけないわけです。


そういう状況下で知らないことを知っているということは命取りになります。アホな自尊心で知らないことに手を出して失敗したら目も当てられない。知らないなら知らないなりに素直になるのがいいです。自分の現状をわきまえて自分で調べてキャッチアップするか、知っている人に教えてもらうとか。


知らないことは嘆く必要はない
で、そういう状況をワタシは自分の頭の中を嘆いたりしないです。たまたまそれを知った機会が今だったのであってそれが理解できるかできないかは先の話ですから。


「知らなかっただけ」なんです。知っていることだけしか知らないのです。でも、知らないことはできないのではなくて、知ったらできる可能性はあるのです。


自分にもそうですが他人にもバカと言わないようにしているのは品の問題とか常識とかではなくて、子どもを育てる中でいろいろ考え接してきた中から学習したことのひとつなんですよね。


自分のことも他人のことでも人がしらないことを揶揄するのって、自分に不利な弱みがあるからそれを隠そうとして関心を他者に向ける手段だから。そんな弱みがないんだったらあるがままで周囲を理解するだけでいいんですから。


知らないまま現状に居座る方が問題だよね
知らないことを知ったりそれを身に付けるためには、現状を理解できるか、自分のポジションを受けれられるかじゃないかと思うんです。そして他人のコンペティタとはならず、自分のコンペティタとすることができるか、だとおもうんですよね。


現状を理解できるかといえば、新人のシステムエンジニアくんたちに研修をすると、必ず返ってくるリアクションがあるんです。

・研修内容を初めて知った
・やってみたけれど全然できなかった
・それを使う機会をもらって頑張りたい


10人いたら3−4人はこう言いますよ。ほんとに。初めて試したことに対して不出来を嘆くんですね、言葉で。そんなのおかしいです。だって、今教えたばかりなんですから。でも、できないこと、不出来な現状を表明するだけなんですね。


いくら現状認識ができても次に繋げないと。ですから、こちらも決まってこう返します。

・今日初めて知ったのだからできなくて当たり前だし問題はないんだよ
・知らないことを初めてやってみたら思うようには上手くできないことを覚えておこう
・使えそうなツール(手段)は日常の中で繰り返し使って身につける機会を自分で作ろう


あと、こうも付け足します。

「君たちがそう簡単に身につけてしまったら、先輩たちが困惑しちゃうから」


先輩たちを追い抜くのはちょっとだけ待ってください。こっちも君たちが知らないことをできるようになる準備が必要なんですから。