作った資料を取り下げ続けるとアウトプットの信頼が欠落していく
システム開発はシステム開発のスコープ(=一番外側の範囲)を決めて、機能を意味のある単位(例えば業務など)に分け、さらに業務のステップ(=業務フロー図の1コマ)に分解したもので取り扱うと思うのです。
そのやり方には慣れているはずなのに、仕様検討の叩き台を作ってもらうと、普段やっている範囲を決めてその範囲の中の仕様を決めていくことと外界とのインタフェースをどうするかと言う整理の仕方を棚に上げたのか、書き手の思いだけで書くシステムエンジニアが割と存在するのはなぜなんだろうね。ちょっとタチが悪いなぁとも思うのは、
「書き手の思いで書いてはダメだよ」
とコメントを言うと
「はい、そうですね」
「おっしゃる通りだと思います」
と、すぐに取り下げようとしたり同調しようとしたりするんですよ。こう言う姿勢がとても気になるんです。
書き手のシステムエンジニアの念持というか考えを持ってデザイン案を作っていると思うのです。
作った資料に思い入れを持って欲しい、ということではありません。思い入れは全くもって不要だし、邪魔になるだけなのでそんなものはゴミ箱に投げ入れておいて欲しいのですけれど、そういったものじゃなくて、書き手としてのシステムエンジニアの思想、思考はぶつけ合わないと顧客が欲しいものを実現する役割としては得られるものも得られないんじゃないかと思うんです。
で、そういうコメントがつく場ではまるで八方美人のように振舞って(いるようにも見えるんですよ)、あとになって文句か不満めいたものを聞くと、
「その場で言ってよ」
と思うのです。コメントを言う(役割の場合)側としても、言っていることが実現するシステムに対して適切でない場合もあると思うのです。
つまり、元々のデザイン案の方がシステムとしては適切の場合だってあるし、そのデザイン案を考える要求や仕様について一番考えているのは書き手のシステムエンジニアなのですから。
なので、もっと主張して欲しいのです。意見がぶつかったからと言って、それは意見や考えを並べて比較してより良い方を選ぶ場であったり、デザイン案の抜け漏れや充足性の程度の耐久性を見る場なのですから。
あとですね、これもコメントを言うレビューする側が持つ印象ですが、コメントがついたからと言ってすぐに引っ込めるなら
- 推敲が足らないんだな
- 準備不足だったのかな
と思うんですよ。 なので、すぐに引っ込めるの、得策じゃないですよ。システムエンジニアとしても。損得はそのシステムエンジニアのアウトプットに対する信頼に影響します。だって、そう言ったことが続けば、
また中途半端で持ってきたんじゃないのかなぁ
と思うもの。
と、思っているレビューアもいるんです。
自分で考えたデザイン案の資料はそれを作ったシステムエンジニアの思想が入っているのですからそこを主張して欲しいのです。
それでより良い方の考え方を選びたいのです。