伝わる文章とは伝える目的を機能する文章


ゴールデンウィークの2冊目、というか、摘んで読んでいた 伝わる・揺さぶる!文章を書く をちょっと読み進めています。伝わる文章を書くことは仕事では気にしていますがこのブログでできているかはかなりアヤシイところではあります。まぁ、創作というか主張というかコラムみたいなものですからねぇ…。


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お仕事で綴る文書は伝えるという機能を必要としますから、ただ書きたいように書けばいいというわけではないという点においてはどなたも違を唱えることはないと思うのです。思うのですが、読むとイミフな書きっぷりを発揮する方もいらっしゃる…。


文書を機能させるということは、文章を書き重ねる必要があります。その一文の文章が重なり合うということは一文ごとが機能していなければなりません。ただ、その機能のさせ方は書き手に委ねられるんですね。


何を言っているかというと、書き手の意思でバイアスがかかるということです。書き手の意思の入れ込み方次第で一文が肯定的にも表現できるし、否定的にも表現することができる。ちょっと始末に悪いのは無意識化で書き手のバイアスをかけてしまう点です。


例えば、提案選定に関わっているとします。4社へ提案を依頼してその提案を受けます。最終的に提案を1つに絞り込むまでに3回ほど意思をバイアスとして掛けることができるのです。1回目は提案依頼の資料の説明の中で。2回目は提案説明を受けたときの評価基準で。3回目は選定結果の取りまとめで。


いくら評価基準を定量的にしたとしても、評価する人がそれを理解して定量的に評価しなければ評価基準より定性的な評価として文書を書き残すことができてしまうんですよね。


なぜなら、評価する人が提案する人から受けた印象や思い込みって無意識に起きるものです。さらに比較することで受けた良い印象を基準として他の提案を上下に評価してしまうんです。


おかしいですよね、評価基準を定量的に作っていても評価する人の中で定性的なメジャーで測っているんですから。評価がいかに属人的になってしまうかを端的に表すようなプロセスなんですよねぇ。


提案の選定としての文書は、提案依頼、評価基準や評価結果として残ります。文書としての機能はそれぞれ違うものですが。機能はするけれど、その機能をどう活かすかは書き手に委ねられているわけです。そういった性質を持っていることもわかって文書を作らないと。