エンジニアとして持つ必要のある危機感

多分、30年前くらいのエンジニアなら、ワタシのようなオジサンエンジニアは業務上必要となったことを必要となった時点で、それも業務時間の中でキャッチアップしていればよかったのではないかなぁ、と思うのです。観測範囲で言えば、入社時に周りにいた30代の先輩方のうち技術書を読んでいると識別できた方は10%くらいでしたから。そのた90%の先輩方からそういった自己研鑽的な話を伺ったことはないので。

別な見方をすれば、今の時代というかこの30年、いや、20年でエンジニアの世界では技術改良のスピードが上がり、一つの技術だけではエンジニアとして明日のおまんまも食い上げになってしまったり、コモディティ化により単価が急降下し、やっぱり明日たのおまんまが危ういということに気づけるような環境が揃ったのでしょう。

これはワタシ流の業績評価の考え方ですが、業績評価は年次での昨対でロールのアップグレード若しくは技術領域のエンハンスでどれだけ(プロジェクト)チームに貢献した領域を広げたかをエビデンスで評価します。

まずは、個々に評価基準に従い評価をしますがこれは絶対評価となります。なぜなら、昨対(年次)で目標設定しているからです。この評価を他のチームメンバと比較することは相対評価となり、評価対象の個人のチャレンジングな取り組みを握り潰してしまことになり、成長の芽をマネージャ自身がパーにしてしまうのでやってはいけないことです。

個々の絶対評価の後は、エンジニアのセグメントの中で相対評価をすることで業績を評価する仕組みにします。この相対評価も評価基準を作り、基準によりチームのエンジニアを評価するのです。

なぜ、評価の話を持ち出し方と言えば、絶対評価の中にエンジニアとして持って欲しい危機感を見出すことができるからです。

それは、

業績評価は年次での昨対でロールのアップグレード若しくは技術領域のエンハンスでどれだけ(プロジェクト)チームに貢献した領域を広げたか

という評価基準に現れていますし、エンジニア自身の成長を昨対で比較するという点がポイントとなるのです。

市場では、コモディティ化すれば技術料は低減される力学が働きます。つまり、昨年の値付けで自分自身を売ることができないような環境にエンジニアの都合は構わずに変わっていくということです。

価格優位性のある技術を持っているのであれば、その方程式が成り立っている間はエンジニアとしての改良は不要ですがその中身は、優位性を日々削りながらジリ貧になっていることに気づくことが遅れればやはり近い将来コモディティ化の波に飲み込まれるだけです。

このことから、エンジニアの技術に対する評価は市場で決まると言えると思うのです。
#だから、そういう評価をしているのですが。

これは評価側の理屈ですが、エンジニアはどう捉えれば良いのでしょうか。

自分の技術料を高く売りたいと思うエンジニアは、自信を専門家として看做していると言えます。専門家であるということは実現する手段を持っていない人の実現したいことを代替するビジネスを担えるからです。

一方、エンジニアとして自分を専門家として扱わない=技術のビジネス適用を考えられず、技術利用だけに留まっているエンジニアは、自信を作業者としかみていないのです。指示書に記載の範囲で持っている技術を利用するだけであり、これはオペレータに過ぎません。こうしたオペレータに対する市場価格は代替リソースが低いのです。

エンジニアが持たなければならない危機感は市場価格に左右されない技術を維持するために持つ必要があるのです。