『我々はなぜここにいるのか』でチームの行動様式を変えた実話
そう言えば、あるチームの意識を変えないとそのチームに組織(マネジメント)から期待された成果を出せないと思いチームの立ち上げから繰り返し言い続けたことがあった。
組織の中でチームを設立する際には何かしらビジネスニーズが存在する。そのニーズの実現こそ、チームの存在理由である。
しかし、そうしたチームの存在理由は得てしてそこに属するメンバの目には止まらない。メンバは自分がどこに属したか、ただそれだけに関心を持つ。だから、メンバは、チームが目指す方向性を知る機会を自ら失っているのだ。
そういった行動を責めることはできないのかもしれない。何より、それまでエンジニアを組織の都合で、今日まではここで、明日からは向こうの現場で、とアサイメントしてきたのだ。エンジニアは、何をやりたいとか、これをやっていこう、と考える習慣を持たない。今日使う技術を覚え、明日からはアサイメントされた現場で使う技術を覚えなければならないのだから。そういった積み重ねがエンジニアをアサイメントだけに関心を持たせるようになる。
そういったエンジニアが集まったチームができた。少しずつ、それもとても少数の人数が増えていくチームだ。
チーム活動をすると、メンバが話す言葉に印象が残ったものがあった。それを聞く度に、組織の狙いとしてチームを作った理由とずれていることが少しずつ理解できていく。
これは、『自分たちの存在理由を理解し、それをベースに意思決定していないからそういった発言をしているのではないか』と思った。
それから、チームが集まる時間で、チームの活動を決めていくテーマを話している中でメンバからそういったチームの存在理由に反する意見や組織の期待と反対のポジションに受け取れる発言があったとき、繰り返し話した。
「私たちのチームの存在理由は○○なんだ。各人が意思決定をする際には、その存在理由に沿っているかを考えて欲しい」
○○はチームが作られたときにチームに期待されことである。存在理由が揺らぐ発言がある度に、繰り返し伝えた。
時間を掛け、繰り返し言い続けることが人の意識を上書きすることもある。しばらくして、チームは、存在理由を意識するような行動をするようになった。
ふと、昨日の夜、これはウォーターフォールのシステム開発方式を採用したチームでも、組織の機能分解したチームでもやらないことだ、と思った。そして、アジャイルなチームでは(多分)全てのチームがやっていることではないかと思った。
インセプションデッキの『我々はなぜここにいるのか』をチームを立ち上げる際にやればいいのだ。何もアジャイルのチームの専売特許というわけではない。
いやいや、システム開発のプロジェクトマネジメント で『プロジェクト憲章を作るじゃないか』と思うかもしれない。しかし、チームに存在理由をとうことはあるか。プロジェクトチームとしての目的は書くかもしれない。でも、それはプロジェクトマネージャが書く。チームめんば一人ひとりに尋ね、メンバが納得して発言したことではない。
肝心なことは、ウォーターフォールだろうが、機能分解した業務チームだろうが、 アジャイルなチームと同じように『我々はなぜここにいるのか』を繰り返し問い続け、チームのメンバの存在理由を肯定する意思決定をさせることである。これだけではないのかもしれないが、チームの行動は少しずつ変わった。
まあ、あれだ。アジャイル開発界隈では12年ごろから組織論やマインドセットにウエイトがかかり始めたと思っていたのだが、振り返ってみれば、この事例は、ウォーターフォールのシステム開発などの従来のやり方の組織論やマインドセットが出来上がっているわけではないということの証左なのかもしれない。
- 作者: Jonathan Rasmusson,西村直人,角谷信太郎,近藤修平,角掛拓未
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