『正しい』を使うのは小さく、早く進めるようになったアプローチと矛盾しているのではないか

それでいつ頃、何かがあったのだろうかと思い出してみようとしてもその辺ははっきりしない。自分はいい加減な人間なので、キッチリとしていないから仕方がない。一緒に働く人からしたら、ところどころ細かく突っ込んでくるので『何を言っているんだか』とつっこまれるかもしれない。

何れにしても、仕事で『正しい』を使わなくなった。正確に言えば、システム開発では、プロジェクトマネジメントでは、と限定した方がより正確かもしれない。

なぜ『正しい』を使わなくなったか。

それは、システム開発の目的である製品やサービスを手に入れるための活動において、このやり方でなくては目的を達成できないとか、目的の製品、サービスはこれだとプロジェクトが終わりもしないで言い切れないからだ。

第一、プロジェクトオーナでさえ、その目的である製品やサービスをみたことがないのであるから、何を根拠に正しいと言えるのか、ということである。

様々なインプットを必要なタイミングで集め、複雑な制約や身勝手な前提条件を踏まえてアウトプットを段階的に具体化する活動において、何を持って正しいと言えるのか。

『正しい』と思う方が居られてもそれは一向に構わない。そう思われる方はそう思っていていただければと思う。

でも、『正しい』とお思いになるその人の中では、である。

それを製品やサービスに押し付けられるのは時期尚早であるから、しばらく待っていただく。何かしらの動く物を見てから、プロジェクトオーナがご判断されれば良い。『正しい』と振りかざす方がプロジェクトオーナでなければ少しお静かに。

一方、right personという言葉を使うときがある。これは、何らの専門的な知見や権限をお持ちでこちらにその見識がない場合、意見照会をさせていただく相手になる。例えば、手続き、法、業界スタンダード、など、解釈が困ることに対してご意見を伺う。

でも、やはり、そういったコメントを横に置きながら、プロジェクトとしてどう判断するかはこちらで決定する。

コメントに照らし、判断するタイミングに入手できる情報で。

などと書き進んで、多分、自分は意思決定する役割をするようになってから、『正しい』は使わなくなったのだろうと思う。

ではなぜ使わなくなったかというと、『正しい』は言葉が強すぎるからだ。それ以外を認めない、余地がないように感じられる。『許容できる範囲に収まっている』くらいでしか実現できないのではないかと思う。もちろん、法などがあって、それにピタリと一致していなければならない場合は、準拠している様でなければならないのは当然であるが。

それに『正しい』を使うエンジニアは、拠り所を探し、それに依存しているのではないか、とも感じる(そう受け止められる事象を知っているだけの話である)。

システム開発のあちらこちらに『正しい』があるわけない。ないから不確実性の中で手探りで、できる限り大きな失敗をしないように小さく、早く進めるようになったのではないか。

 

 

メモの魔力 The Magic of Memos (NewsPicks Book)

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