納得するまでの時間


まぁ、仕事をしていればいろいろありまして、プロジェクトを抱えているのに「Help me!」と支援要請を受けるというお茶屋の芸子なら商売繁盛でウハウハなところですが、「いや、だからワタシプロジェクト抱えているジャン?」と共通認識を持つ場を設けても、外堀を埋めようとする方々がおられるのはどこでも同じ風景なのではないか、と心の中では半ばあきらめ顔というか一線を越えてしまって無表情という感じなきょうのこの頃ですが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。


まぁ、「Help me!」と言う方はもう助けてほしい限りでものすごく前のめりに不確かでふわふわした情報と悲観しかできない情報を、−いや、それを情報というのか怪しいところだけれど−、並べてご紹介いただけるのはHelpする“かも”しれない方の人にとってはマイナスに取られるんじゃん?って思えて仕方がないと思うのですがいかがでしょうか。


つまり、Help me!という側は、正直に状況を話しつつも受け手にそれは大変である。「ワタシがやらなければ誰がやるのだ。そうだ、ワタシが立ち上がろう!」と思い込ませなければならないし、それが一番の目標になるハズなのである。それが、もうぶっちゃけているから何を話しているのかわからなくなる。


状況を伝えるには、事実と私見を“分けて”伝えることだ。これが相手にいくらいたるところで情報にフィルタが掛かったとしても“事実”を伝えているということに嘘偽りのないという真実だけを伝えたという既成事実を作り上げるために必要なことだ。だから、私見はそのあとに、別に話さなければならない。「事実はこうだ。」でも「自分はこう受け止めている。」と。


もう少し、交渉術を学んだ方がいいと思うよ。それを本当に相手に納得させて得たいというならそれほど真剣にならないといけないのだよ。


で、そのようなHelp me!と助けを求めるくらいなタイミングで時間をかけることはその方々には申し訳ないと思ったりはしないけれど、それとは別にそれをするならとそのほかに影響を及ぼすいわゆる影響調査をゆるりとしつつもココロの中ではやるのやらないのと微塵の葛藤をしつつなんとも最初から思っていたような結論を持ちつつ、追加でインタビューすることで情報を更新して環境を一つひとつ作り上げ、自分からそれをやろうと心と調整をはかったのであった。


ということで、2つ抱えることになりました。まる。