ワタシのようなインフルエンサになれない情報発信者はどうしたらいいのか

すっかり気分は夏バテですが、みなさんはお健やかにお過ごしでしょうか。早朝から日差しは暑いくせに、夜ともなると網戸越しの風がまるで秋風のように涼しくてちょっと季節感がおかしく感じられなくもないです。


相変わらず、飽きもせずにコミュニティ活動をしているのは、今だに活動の中心メンバが楽しそうに毎回参加してくれるからだとか、新人向けの研修をしたときに宣伝をしたら何人かの人が来てくれるようになったとかがあったりするからです。人が増えたのでワタシの手を少しばかり離れて動くかと思いきや、いろいろと場の仕切りなどで参加者が困っていそうだと思えば出ていくところはそっと出て行って、何事もなかったように参加者を助けられる程度には手がかかるのだけれど、まぁ、それも存在を認められているような、年寄りをあそばせないよと言う若者の優しい気配りかどうかは知らないけれど、頼られるのはうれしいものです。


こうしたコミュニティとか、組織の中のソーシャルネットワークとか、はてなスペースなどの普通のソーシャルネットワークにいると何となく何かを言いたくなるんですよね。承認要求のあらわれなんでしょうけれど。それは多分、自分の中に何もないからなんだろうなぁ、と。自分に自分の人差し指を向けて「お前は何者なのだ。」と突きつければ「なんだろうねぇ。」としか答えられない。いやさ、ワタシはワタシなんだろけれど。


こんなワタシでも、自己実現や承認要求がうまくいったのは、他者が手を付ける前に先駆者としてPMPを取って発表する場をもらうことでパフォーマンスをしたり、その結果、ワタシもそこにいることを認識してもらえたとか、そうしたことの成功体験を得られたからなんだとふりかえるとそうなんだろうなぁ、と。


こうした他者に先駆けることを人前で話すことが自己表現と承認要求を得るのに一番の近道だし王道なんだろうと思うんです。とは言え、パフォーマンスをするワタシ自身の素のスペックはそれなりなので多くは期待できないし、自分には期待はしないんです。身の程はさすがにこの歳になるとわかっているつもり。


ただ、そうなんだけれど自分の器に枷を嵌めるつもりもないと思っている自分がいるわけです。やってもいないことをできないとかふさわしくないとか思う必要もないし、例え不向きや不得手でも自分で決めたルールでことを続ければいいのだし、続けるんですよ。


どうやらワタシが日々書いているようなブログはニッチらしいのだけれど、そうしたコンテンツに関心を持ってもらえることはとてもうれしいし、アクセスがあるだけでもウレシイのにコメントが付いているととっても励みになっているのも事実ですねぇ。うれしさと励みはワタシが情報を発信する添加剤になるのですが、一方、自分のルールで書き連ねるのはワタシのようなものが情報発信しても注目されない分、毎日書くことが自分のブログのストックを強化するという想いで続けているんです。


それが正解かどうかはわからないけれど、正解があるモノかどうかもわからないから多分それでいいんじゃないかな、と。