あなたの実践する力をワタシには育てられない


ここずっと、気になっていることが学習で得られる形式知とまなんだ形式知を実践で試行錯誤しながら洗練していく実践知の内の実践する力を育てるためのアイデア、方策、それにまつわる諸々の諸懸案事項なのです。


だから、そうしたブログの記事や書籍のコンテンツに出会う度に、「そうそう。」とか「そうなんだけど...。」とか思うわけです。もやっとしているのはその実践知を学ぶ主体が学ぶ側にあって、彼/彼女らがそれを欲しないとそもそもテーブルに着くこともないからです。


仕事であれば、組織のメンバ育成となれば半ば強制的にアサイメントをしてテーブルにつかせることもできるのでしょうけれど、それでは彼/彼女らがそれを欲していないのであればそれはセレモニーでしかないのだから何も得るものなく、時間とそれの準備に費やしたコストの無駄になるわけで。


つまり、その実践知に纏わる環境において主体者がその気にならなければ「何も得るものなし。」の一言で片づけられてしまうようなもので、それをムダと思いたくないから実践知を学ぶことについて今まで知らなかった人がそれをとおして初めて接するという機会を与えられる可能性だけに希望を繋ぐくらいなのかもしれない。


だからと言って、ワタシはそれを諦めたりはしない。気長にやっていれば誰かの学びの琴線に触れることもあるのではないか、と思うことにしているのです。確かに、後進育成となれば、そんな悠長にはやってられないのはそれも事業を構成する一つの目標となるからであって、そうとなればそれは仕事だから、各人の成長の目標として組み入れ、高いプレッシャを掛け続け、トレースをし続けるのです。


それができる領域と出来ない領域があって、片やビジネスではオンオフに関わらず期待されるところもあるから悩ましいことになるのは理不尽というより、人の不整合を素とするのだから仕方がないと達観しつつもそうした課題に関与することの適任者の一人に選ばれることを物好きもいるものだと思いながらもいかに楽しくブレークスルーを探すかに興味を持つことが一つのココロの養分になっているのかもしれない。


これまでも、これからもワタシは機会を作る。それを、目の前の、髪に係るものを掴むか掴まないかはあなたの自由である。ちょっとだけでも興味を持ってくれるとうれしいのだが。