出来るエンジニアになるためには、体力もつけなければならないんだよ

「なんでPCの前に座って仕事しているだけなのに体力が必要なんですか。」


って質問が出そうですが。それに対して、「超労のひどい弊プロジェクトだから体力が必要なのよ。」というつもりもないですし、「デスマなんて日常茶飯事なんだからエンジニアに体力が必要なんだよ、とーま。」という穿った見方に対しても、それも「本質的には違いますよ。」てしたり顔で答えるかもしれないなぁ。


休みだと(勝手に)心配とがっかりしちゃう
エンジニア数年目のころ、仕事したいくない病(=技術が身につかない病)を拗らせていたときに、実際、割と軽い風邪を良く引いていた時期がありまして。当時一緒に働いていた方には大変申し訳なかったですが、当時は今以上にダメエンジニアでしたから、軽いならそのときの体力と仕事を天秤にかけて、風邪を長引かせることのリスクと仕事の遅延することのリスクを考えた上で物事を判断していたなら、まだましだったのでしょうけれど休みたい、が最優先でしたからダメエンジニアだったと認めざる得ないのでして。


システムエンジニアのリーダになったり、プロジェクトマネージャになったり、ましてやマネージャになったとき、毎日仕事場に来てくれることをとても大事なことだと思うよう気持ちの変化に気付いたものです。計画された休みなら「どんどん休んでいいよ。」で、それは、休む前に予定どおり仕事を進めていてくれるからだし、その休む予定を気持ちよく休んでほしいから、でもあるわけで。


ところが、急な休みときは、「何か病気にでもなったのでは。」とか心配しちゃうわけです。その裏には、「(今日来たらあの件一緒に片付けようと思っていたのになぁ…)」とか勝手に予定を自分の中に立てていたり、自分の中の段取りをベースとして物事を受け止めているっていう一面もあるからなんですけどね。


毎日仕事場に通えることの大切さ
毎日、仕事場に通おうと思うのは、やっぱり、自分の体を起こすという行為が一番大きなファクタではないかなと思うんですよ。メタル的にイケイケなら体力も良いよう影響されて自分の体を駆動できるもの。


日曜日の夕方にサザエさんを観て“サザエさんブルー”になるのは単なるものの例えであって、当の本人にとっては、明日からやる仕事が見えているから単に「面倒くさいなぁ。」って思っているだけで、何も考えていないエンジニアよりは、少なくても月曜日やその週を見通している分、実はましなんじゃないのかなって思うんですけどどうですか、サザエさんブルーになるエンジニアさん。


サザエさんブルーでも、他の理由でメンタル的にしんどくても体力的には問題が無ければ体を駆動することはできるのですね。「あーだりー。(バサッ)」ってベッドから体を起こすようなイメージで。自己の身体を駆動させて兎に角起きてしまう。いつもの朝のシークエンスに載せて体パターン通りに振る舞わせる。


冷静になれば、今日、片付けないとあとあと2倍にも3倍にも面倒なことが理解できるからそれならやっぱりいつもどおり起きて、支度をして、ご飯を食べて、仕事場に通う。


自分の仕事は自分が担うロールに見合った仕事であって、それが事務処理でも必要で書かすことが出来ないのだから、それが面倒であっても自分で片付けなければ誰もやってくれないのですし。


ベッドから立ち上がるために体力をつける
ベッドから自分の体を駆動させて起こして、何をやるかを思い出しながら自分の頭の中で段取りを作って、と行動に移すにはやっぱり体力がないとメンタルに負け気ちゃうんじゃないかと思うんですよ。自分の気持ちを司るのは頭の中ですからね。自分の頭が自分の体に命令を出すとするなら、それに無条件反射で身体を起き上がらせるほかないんだと。それ以外、自分の体を起こす手立てがないなら、メンタルに負けない体力をつけて、規則正しい生活のシークエンスで頭で考えるより先に体を動かすんだよ、と。


辛いとき、忙しいとき、ココロのへこたれそうなときこそ、その壁を越えるのは自分の体そのものなんですよ。それを平常なときから適度に維持することを、−いや、社会人で体力を向上するのは難しいからね。維持するだけでいいんですよ−、組みこんでおくんです。


これを意識して、記録して、体質を少し変えていけると、次第に体を動かさないと今度は気持ち悪くなるのが不思議くらいです。そうしたらもう、自分の勝ちですけどね。


こうして、毎日仕事場に通えれば、計画した休み以外はいてくれる、頭数に入れられるエンジニアになって、期待される異常^H^H以上の仕事にチャレンジできる機会も増えて。それでいて、休みの日には“運動をして体力をつけたいから”健康に気を配るという、プラスのスパイラスに入ることが出来るんですね。なので、体力をつけましょう。