仕事の分担で不公平感が出てきたらひと手間掛けてもカンバンで見える化を


“忙しい”、“オーバーフローしてる”、“死にそうだ”なんてセリフを訊くのはそれほど珍しくない気がする。だって、いつも言う人、決まってるもん。とは言え、ほっておくこともできない。だって、本当のメッセージかもしれないし、言わないけれど苦しそうに目で訴えているメンバだっているかもしれない。仕事の過負荷をコントローラブルな状態で情況を教えてくれるメンバは実は貴重だったりする。それは、仕事の過負荷に押されてしまってそれをする余裕がなくなって自沈しちゃうメンバもいるから。


“忙しい”、“オーバーフローしてる”、“死にそうだ”なんてセリフを言う内は割と大丈夫なんだけれど、でもそれ聞き捨てるわけにもいかないから、ホント、その人“だけ”忙しいんかい?って実際聞いてみればそんなことないことが多いんだけどね。まぁ、でもアサインする方も作業の分担で上手く調整できているかっていうと案外と感覚で調整しちゃっていることが多かったりするので、一蹴することもできないから仕事の過負荷をどうやって平準化したらいいものかちょっと整理してみましょう。


作業分担で不公平感を言う原因
作業をアサインされてやる方の立場で。これは社長でなければ全員が当てはまるよね。仕事は降ってくるものだし。で、アサインされる立場でも不平を言いたくなる原因で思いあたるのは、

 “自分ばかり”仕事の分担の負荷が高いゾってやつ。


負荷が高いと感じるのは、視覚化される事象としては、残業も遅くまでだったり、休日も仕事してたりするような、実績として現れるもの。これは、勤務として現れるから判別しやすいし周りにも認知されやすい現象かと。


もう一つは、他のメンバの負荷は知らんけど、兎に角、自分が冷静に平常運転で仕事をできる“余裕”をなくしてしまう程、切羽詰った感というかプレッシャーを感じて少しずつ追い詰められていくように感じる精神的なもの。どっちのケースも、誰でも経験したことがあると思う。


突き詰めれば、オレ忙しいの“見えているの?”って言うのと、“周りはどうなの?”ていうのですね。


大変そうかどうかは仕事をする前に分かっていればそれほど大変じゃない
変な言い回しだけれど、やる前にある程度どんな大変さや負荷が掛かるか“分かっているなら”それほど文句なんて出てこないものです。手を付ける前に分かっているから自分自身で心構えというか、心の準備ができるんですね。この、先を見通せているっていう感覚が身体的にも精神的にもアドバンテージがあるんです。


わかっているから事前に必要なことを想像して準備できるようになるし、先に考えて、場合によっては手配を始めるから“バッファ”が結果として生まれるんですね。それがアドバンテージとして現れるんです。


これ、とっても大事なことなんですね。見通しとも先読みともいえるけれど。見通そうとするから仕事に対してちゃんと向き合おうとする。自然と仕事をやり切ろうという環境が出来上がる。そう思うんですけど。


周りも自分が大変だとわかれば助けれくれるかもしれないし、周りも大変なら助けようと思えるような見えるしくみ
それがカンバンなのです。はい。


自分“だけ”とか周りは気にしてくれない、とかは、自分と周りのメンバと対峙しちゃっているわけです。なぜ、対峙しちゃうかって聞かれれば、それはそこにお互いをしるためのプロトコルに相当する情報がお互いに欲しいインタフェースで流通していないからです。手持ちに余裕があるかもしれないし、手から溢れているかもしれないのにその状況を交換することが出来ないから自己ループして勝手に思考が負の方向で自家発電しているんですよ。


なら、それを交換するブリテンボードを用意すればいいわけだし、そこでお互いの情報を同じインタフェースで、同じ価値観に揃えられるような様式で共有すればいいんです。それがカンバン。


「え、WBSあるでしょ?」って?WBSが有効なら、インタフェースとしても作業負荷の情況の共有で使うのが良いんです。だって、其れ1つで済むから。でも、あれで特にスケジュールがガントチャートもついてないと時間軸がわかりにくかったり、誰が掛け持ちとかだったりと直感的にわかりやすいかっていう点だけで考えるとやっぱり視覚化されるカンバンの方が一歩優位だとおもんですね。


というか、WBSでやれてるプロジェクトや作業分担なら、カンバン要らないです。それ、十分チームとしてWBSを扱うmaturityあるもの。若しくは、あれだ、プロジェクトがメンバ視点でもコントロールできてるんだね。だから視認性が保たれてるんですよ。だから、さらに手間を掛けて視認性を上げる必要が無いんですね。


結局、逆なシチュエーションのときには、ひと手間掛けても視認性を上げておくことでメンバ相互の状態がわかるようになるし、結果、不平感より助け合うという雰囲気に場をチェンジ出来るだと思うんですよ。