無知だとすぐ最初に知ったやり方に染まって考えを変えられない


とあるチームで勉強会をやっていると耳に挟む機会があって、その勉強会を始めた経緯はなんだろうと興味を持ったので尋ねてみたのです。

「ねぇ、Aさんが先生になって勉強会を始めたんだって?」
「そうなんですよ。」
「なんでAさん(が先生)なの?」
「今、大規模案件のプロジェクトマネージャをやれるのが、BさんとCさんとAさんなんですよ。でね、BさんもCさんも出払っているのでAさんにお願いしたんです。」
「それでAさんなのか。」
「そうなんです。」
「でさ、対象者は?希望者?指名制?」
「ほぼ、希望者ですね。若干ですが、促したり、強く勧めたり。」
「強く勧めたりとかー、それ、ぜんぜんおかしいー。」
「いいんですよ。結果は同じなんですから。」
「じゃあさ、個人的にどんな内容が取り上げられるのか興味があるので、内容を教えてもらっていいかな。」
「いいですけど?」
「ほら、例の研修開発しているんだけどさ、何かヒントがあればと思って。」
「了解です。メーリングリストに入れておきますねー。」


入れてもらったのは、完全にワタシの興味本位です。諸々の事情があって研修講座の開発「も」しているんですが、その当時は、ワタシに白羽の矢が立ったもともとの依頼のテーマは理解していたんですが、実際の研修内容の設計をしていて「どう組立てたものか。」と悶々と逡巡していたころで、これは若しかしたら「何かヒントになるかなー。」という関心が70%くらいあったのとAさんがどんなテーマをどんなふうに「運営するのだろう?」という興味本位が30%くらいあったためでした。

Aさん「この範囲を設計するの場合は、○○を参照して設計を進めてください。」
Nさん「でも、○○の資料は見づらいです。」
Lさん「○○の資料は、このままでは使用できないと思います。」
Mさん「○○の資料は重複があって、却って手間が掛かると思います。」


所謂、上流設計のとある領域の設計で検討テーマの抜け漏れがでないように参考資料として○○を使用することを勧めてみたようです。検討タスクで作成した資料のようで、カバレッジは良いのですがカバレッジを優先したことから冗長な記述になっていたようです。

Aさん「そうですね、すこし見づらいですね。あくまでも○○資料は参考にしてください。経験をベースにして補完してください。」


この発言を見てスイッチが入ってしまったんです。これはイカン。


「ねぇ、この前の勉強会でさ、○○資料は参考程度にして経験を優先して、って言ってたじゃない?」
「そうですね。」
「この勉強会の目的は経験の共有なの?」
「そうですね、経験を持ち寄って、共有して、です。」
「あのさ、根本的なことなんだけど、経験ベースだと幾ら持ち寄っても網羅的にはならないんだけど、それは認識している?」
「あ、はい、そうですね。そうなりますね。」
「でね、それでいいの?って話なんだけど。」
「経験を持ち寄るのがテーマですが、クイックに始めよう!と言うのもありまして。」
「そうなんだ。早く始めるのはいいことだね。兎に角、手を出してみて、結果を評価してみてって。」
「それなんですよ!!」
「でさ、話を戻すんだけど、○○資料のときのことなんだけど。」
「はい。」
「みんなの反応を見ていると『○○資料をそのまま使え。』って話なんだっけ?って思っちゃったんだけどそうだったっけ?」
「いやぁ、そんなつもりはなかったですよー。」
「でもさ、あのときの反応はそうだったよねぇ。」
「そう言うつもりじゃなかったんですけど。」
「大事なことを話したいんだけど。」
「はい、なんでしょう。」
「メンバのほとんどは、自分の経験でしか設計テーマの範囲について『経験でしか』知識がないでしょう?そこはどう?」
「そうだと思います。」
「その『経験でしか』持ち合わせていない経験知を持ち寄っても経験値の積み重ねでしかないじゃない?」
「そうなりますね。」
「じゃあ、この前の会の結論はどうなんだろうね。」
「……。」
「Aさんも、そう思っているから○○資料を持ち出してきたんでしょ?」
「はい。」
「経験できるのは、あくまでも、契約範囲の中で、自分が担当した工程、機能の範囲の積み重ねでしかないんだよ。そこを意識させてあげないと。それをあたかも○○資料をプロジェクトに持ち込んで使うことを前提に話が進んで、その上、『やっぱり経験だよね。』なんて結論じゃあ、ちょっとなぁ、と思ったわけですよ。」
「そうなんですよね。わかっていると思うんですが。」
「いやいや、勉強会なんだからさ、もっと突っ込んでいかないと。冗長だろうが、網羅的な知識を自分たちが経験した経験値を補完、穴埋めするような使い方に成れていかないといつまでも経験値のオラオラでしかないよ。」
「みんな思った以上に頑固なんですよ。」
「最初に刷り込みされて、上手くいった経験しか知として持っていないんだなー。」


無知だとすぐ最初に知ったやり方に染まってしまうと考えを変えられない、典型的な例ですね。無知は言い過ぎ感はありますけど。それでもやっぱり、自分の知識を興味駆動型でもいいから体系的な知識を取り入れて、経験知とのタッピングをして補完していかないと、経験知だけのざるで仕事をするようなものです。そんなのダメですよ。


人は、自分を変えることには億劫に感じたり、するものです。でも、それが頑なだと単なる億劫ではなくてもう老化です。変わるかもしれないことを進んで聞いてみる。まず、理解してみる。で、自分に当てはめたらどうなるかを考えてみる。効果があったらやってみたらいいじゃないですか。効果がなければ止めればいい。


経験知だけで体系化された知識とつき合わせもしないなんて無知みたいなものです。無知だとすぐ最初に知ったやり方に染まってしまっていて、自分の考えを変えられないタダの老害でしかないです。それじゃイカンです。それを変える機会が勉強会なのにモッタイナイ。