SIプロジェクトの末端SEは夢を見るか

昨日、たまたまTLに流れてきたツイートに

「大規模SIプロジェクトの末端エンジニアはアーキテクトにでも鳴らなければシステム方式や仕様決めに関われないので目の前のWBSをこなすだけで何を作っているのかも理解できないのだから仕事が面白いわけがない(意訳)」

というのを見かけて、どうしてそう思い込むのだろうと思ったのです。

インプットの前行程の設計書の存在

末端SEでも自分の担当するWBSの作業をするために、インプットとして前行程の設計書なり仕様に関するドキュメントがあります。システム開発においてインプットとなる情報が何かしらあります。もしないのなら、要件から担当する工程に必要な仕様を決めを先送りしているのであって、それならそこからやればいいわけです。

インプットの仕様は方式が、方式は要件が先にあり、それを紐解く過程で全体が見えますし、非機能や機能の依存を考慮するならシステムなりサブシステムの関連図があるものです。

いや、そんなシステムが俯瞰できる資料の存在は都市伝説だとか言わないように。

全体を把握させるのは誰か

もし、末端エンジニアのあなたに誰も大規模SI案件の全体像を教えてくれないとしたら、それは先輩なり上司なりが部品エンジニアという歯車で楽をしているか、すでに把握しているが後輩エンジニアに教えることのメリットを知らない抜けエンジニアのどちらかです。

教えてくれないなら自分で全体を知るための行動を取ろうとしか言いようがないです(これもアドバイスになっていないけれど)が、自分が欲しい、知りたいのだから知るために待っていては誰か気づかなければ一生知ることも満たされることもないです。

前述の先輩や上司に当たってしまったら、自分が同じ道を選ばないようにしましょう(これはアドバイスになるか)。

結局、知りたい、好奇心を満たしたいと思う自分で全体を把握するということです。

大規模SI案件を楽しむ準備

大規模SI案件はSIerにとってエンジニアというリソースの規模がとれ、多重請負構造による自社エンジニアのコストと下請けエンジニアの買いの価格差がビジネスの源泉とモチベーションだけれど、それの良し悪しはビジネスを回す側の問題であって、純粋に大規模SI案件がエンジニアとして楽しめるかどうかは、小規模のスピードのある案件をしていても同じことを自分にということになるのです。

というか、大規模SI案件の方がプロジェクト期間が段違いで長いので考える時間的余裕が得られる(だからやめようかと思うわけで)が、小規模(数人)で短期間(3ヶ月とか)の案件では考える時間なんて取れやしないしそれがずっと続くと気が抜けないのでそれはそれで考えもの(経験談)です。

まあ、それに小規模案件は自分ができないことでもやらないといけないこともあるのでそうした思考についていけないとパンクしますね。

話を戻して、大規模SI案件は時間軸の余裕が(小規模案件と比較して)あるので他のチームがしていることや他のシステムとの接続など小規模では得られない情報を手に入れることができます。

つまり、自分が担当する作業のWBS以外で興味を持つものは、知る機会も横断的に活動するような運用や障害対策や全体試験や移行などあとあとの小規模案件を自分でキャリーする際の知見を得られるいい学習の場だと思います。

あと、(優秀だと思えるなら)大規模SI案件では標準共通化チーム(要はPMO)が作る標準類が(金融なら)体系的に出されるのでそうしたプロジェクトマネジメントについて経験だけで知っている暗黙知を事例としての形式知で整理することができる機会となります。

夢の見方

ここでプロジェクトマネジメント(100%PMBOKだけど)とシステム開発手法(ほぼウォータフォールかもしれないけれど)とそれの生産性を確保するツール類(悲壮感のあるPCスペックや閉鎖環境での旧世代の開発環境かもしれないけれど)の課題と解決するならどうすればいいかというケーススタダディとして学ぶんです。

そう、自分がこの大規模SI案件を抜け、プロジェクトのリーダになったときにどういったプロジェクト環境を作るか素振りをする場なんです。

もち、素振りのネタは自分の会社のだったり自宅のPCでやらないとできないですけど。そうした将来の夢を見る場としては良いと思いますけれど。うなされるほど悪夢的な大規模SI案件でなければ。