ウォーターフォールとアジャイルのどっちの精神論がお好き?
今更感があったのですが、最近になってアジャイル関連の書籍で手に入れていなかったもの何冊がまとめて購入して目次を眺めてみたり、斜め読みをしてみたり。そう言えば、PMIのPMBOKなんて2000年版は試験対策で何度も読んだけれど、2004年版はパラパラと捲っただけだし、それ以後何てみる理由もなくて放置しているようなものだけど。さすがに最新版を手に入れて差分がどのくらいあるのかは知っておきたいなぁとも思う。
ところで、プロジェクトをマネージするプロジェクトマネジメントはプロジェクトを推進するフレームワークのようなもので、プロジェクトマネジメントだけではシステムは出来上がらないのは誰でもご存知のこと。なので、そのプロジェクトの特性に合わせたシステム開発手法を選択することになるわけだけど、今ならウォーターフォールかアジャイルのスクラムの二択なのではないかなぁ、と。とはいえ、実態はほとんどウォーターフォールかソレの派生なのでしょうけれど。
ウォーターフォールがその運営の拙さやもろもろの要因から揶揄されdisられていますが、じゃあ、アジャイルならプロジェクトの成功率がウォーターフォールと比較してどうなのよ?と聞かれても比較ネタは持ち合わせていないけれどやっぱりシステム開発が対象であることは同じなのでプロジェクトの成功要因であるQCDのすべてをオーバーランせずに成功裏にことを運べるのは劇的に高いわけではないと思うのは、アジャイルが開発手法のメインストリームに出てくるような認知をされていないから。
ワタシ的にはどっちも好きでその上で良いとこどりをしていかに楽に確実にゴールテープを切れるか、というあくまでも開発ツールとして成果を得る遣り方はなにか、という価値判断で使える方を取りたいし、実際、取っていますし、お勧めしています。だから、ウォーターフォールであっても朝会は推奨するし、ふりかえりも奨励します。
ところで、どちらのシステム開発手法を採用しても、段取りや手順や経路が違うだけで目指すゴールは同じです。でも、システム開発手法が違うから故に、文化も違うし、おもしろいことに精神論が使われる場面も違うと思うのです。
例えばウォーターフォールでは、これまたよく言われるように上流工程で決められなかったり、設計品質がアホだったりするとそのしわ寄せは全部、製造と試験工程に寄せられるわけで、その対策には場当たり的に人を投入して乗り切れ、なんてことになる。ワタシは、いかなる理由があろうともやらないといけない工程のタスクはその工程でやっておけ、だし、それがどうしてもできないならプロジェクト計画を出来る計画に見直せ、なんですが。そうしたやらないといけないタスクをやらずに先送りしてきたツケを後工程に金利を足して渡すから最終工程のコストがインフレを起こすんですよね。で、それを精神論で乗り切れ、と。
一方、アジャイルに対するメンタル的なものだと感じるものは、チームに対する要求かなぁ、と。少数精鋭でいつも同じメンバで、意思疎通を十分に、などなどとても高いものをお求めになる。でも実際は?って話です。現実はそうはいかないもの。人は入れ替わるし、経験が少ない人も入ってくる。コミュニケーションを対面で伝えたいこと知りたいことを必要分だけでも伝えられるなんてそんなの50%も伝わればいいでしょう。協調して仕事して短期間で成果を出す。ハードルが高いなぁ。できないとは言いません。求めるハードルが高いなぁ、とは思います。そうしたことができる関係づくりには相当のコストも時間もかかるんです。いわば、阿吽の世界に近いですから。
面白いのはどっちのシステム開発手法も精神論を必要としていることです。前者のウォーターフォールはそのピークを凌ぐための精神論だし、アジャイルのスクラムは継続する精神論かと。
システム開発手法を適用するエンジニアリングなのに、どちらも共通して精神論が必要だなんてどういったことなんでしょうね。やっぱり人が介在するから仕方がないんでしょうか。そうそう、ウォーターフォールはまるで入試は楽にパスできるけど卒業が大変みたいなのだし、後者は入試を派すること自体が大変だけど続けて行くのも大変、みたいな感じですね。
さて、どっちの精神論がお好きですか。