エンジニアは女子力を身につけて「そうだね」からはじめた方が256倍いい


今日が仕事納めなので、プロジェクトマネジメントもプロジェクト終了時のネタです。


アジャイルスクラムプロジェクトファシリテーション普及もあって、だいぶ、プロジェクトが終了時たときにプロジェクトの開発チームがプロジェクトでしでかしてきたことを反省する省みる「反省会」から、次のプロジェクトに繋げるための「ふりかえり」になってきたと感じるようになりました。


反省会がどうにも小学校、中学校のホームルームの体のままのエンジニアが多いのでその場で戦犯探しの的になるのではないかとヒヤヒヤしていたエンジニアも相当いたのではないかと思うのは、反省会のときの出席率が芳しくなかったからです。そんな反省会よりふりかえりを普及したい立場としては、何事にもはじめは上手くふりかえりのファシリテーションなんてできなくて当然ですからお声がけいただければいそいそと出向いていくわけです。


その場に参加されたプロジェクトメンバの顔を見つつも、ふりかえりの場が反省会にならない様最初は何度も主旨を念押しして、時どき個人攻撃になりそうなときは介入し、あっちで揉めようなら話の向きを変え、こちらで感情に流されるようなら矢面に立って話をソフトランディングさせ、もう一度、ふりかえりの本来の意図を理解させ、次のプロジェクトでは三々五々に別のプロジェクトにアサインされていくメンバが半年や1年を共に過ごした隣に座っていた仲間が「そんなことを考えていたんだ。」と気づかせてあげたい。


ふりかえりのファシリテーションのアドバイザ的なお手伝いをしていて気づくことがひとつ。

「日本人は相手を理解するということが苦手なのではないか。」


そんな気がしてならないです。ワタシの相手を「理解する」ということには、相手の「主義主張が何であっても容認する」ところから始まっています。


「容認する=頭で相手の言っていることを解釈して同意する」ということではないです。相手が主義主張をいうのは当然で、それがその人の存在意義であると思っているから。


ワタシの、その考えには、相手の主義主張を理解するまでは入っていません。話を聞き、同意するかもしれませんけど、同意しないかもしれない。それが仕事のことなら、仕事の基準で同意、不同意を判断するだけです。そこには、個人の主義主張は除外して対処します。


相手を理解しようとしないということではないです。主義主張に同意できれば同意するし、できなければそれだけの話です。でも、そうした主義主張をもたれていることがその人の存在意義であり、それは受容するわけです。


とは言え、仕事の完了がその人の主義主張で判断されているならそれを判断できる立場ならプロジェクトの規律、基準、プロセスで処します。それだけ。


ところが、もうすでにプロジェクトをキャリーする方々が中堅層から若手層に委譲されつつあるからかどうかはわからないですが、相手の存在を受容せずに、自分の考えと違う人を何とか宗教がえさせようとしているような行動を取ろうとしているようにお見受けすることが多いのです。あぁ、頭ごなしに説得しようとするのはオジサン達のほうが多いかも。


「理解」している不利だけではありませんか。個人の意見の尊重とか個性とか、そんなこと言う前に、個人が持っている主義主張があって当然で、それが受けての自分自身とは180度違っても受け入れることをしようと意識していますか。


そうそう、頭の固いオジサン、オニイサンにこそ、来年はスキルアップを勧めたいことがひとつあります。


それはね、女子力です。馬鹿にできません。