考える仕事を目標にしないから目標設定をした途端にモチベーションが下がる

ワタシの仕事は、普段の仕事は他の人がした仕事のアウトプットのレビュー、相談事を受けること、特別にご指名いただいたタスクをどのように料理するかを考えて処理すること、なような気がします。


ま、前出の仕事は明確な定義があるモノでもなく、それぞれの仕事の淵がグレーゾーンでいくつも重なりあうようなもので、なんかよくわからないけど誰かがやってくれると困っている人がワタシの同意で共犯ができるので言い訳できるようになる連判の証を求められるのでひたすら目の前のものを眺め、指摘し、また確認するのです。


このような仕事ですから、新しいインプットを充てんしなくても溜めているワタシだけの暗黙知やワタシだけのパターンが擦り切れるまでは何一つ困らず日々を消化することができます。


さて、ワタシは何か行動をするべきなのか。何もしなくても何も困らない。でも、何か新しいことをインプットするということは、今の自分を揺らすことです。不安になるかもしれないし、今のリズムを壊すことになるかもしれない。


楽なんですよ。今のままであることは。流れてくる仕事を処理するだけで仕事をした気持ちになれるのは忙しく時間を費やしていることだけは実感できるから。


さて、1年後に同じことを思うか。


5年後の50代半ばで同じことを思うか。


やっぱり、嫌だなぁ。絶対後悔しそうだ。後悔するより、自分の決まりきった今の仕事のスタイルを壊す方がいい。


そのためには、考える仕事をしないと。考える仕事。


例えば、現場のマネジメントが困っている組織の課題、フロントのマネージャが困っている育成などはどこの組織でもどこの現場でもある話だ。でも、その問題を抱えているのは現場であり、思いっきりローカライズされている問題なわけで、一般論があったとして、それは多分すでに試されて捨てられているか、途方に暮れているのだ。


そうした課題は、外から方法論をそのまま持ち込んだり、現場にお伺いしてやろうとしても上手くいかない。これは確信。方法論は手本にしてもそれを使うためのロジックは考えないといけない。そして、こうやれ、と言い切れるパターンを創り上げること。


そのプロセスはまさに考える仕事だと思う。ま、自分でそう思っていれば新しく自分にインプットできるわけで。これをどのくらい今の仕事を押しのけてリソースを確保できるか。いや、するんだけど。


ということを自分で決めて、自分の目標にすれば、目標を設定してもやり切ろうと思うし、モチベーションなんて下がらないでしょ。