やる気が起きなくてモニョモニョしている原因は
実は、少々戸惑っているのです。何に戸惑っているかと言うと、いわゆる「やる気が起きない」んです。
いやいや、「なに言っているのですか、毎日、ブログを書いているではありませんか」なんて当然の突っ込みが入りそうです。
確かに、毎日ブログを書くことを続けていますし、ブログで書いているスタイルは以前と同じ形態のものもありますし、新しく試みた「一番やさしい…」のスタイルのものもありますね。その点では「やる気が起きない」なんて「180度真逆なのでは」と思われても仕方ないですねぇ。
仕事も相変わらずですし、それほど変わったこともせず…、いや、ちょっとあたらし目のことも実験的に手をつけたりしているので、ワタシ自身が「どうしたんだい」と聴いてみたい気分です。
その「やる気が起きない」起因が何であるか、実はわかっています。
実はゴールデンウィーク前にちょっとしたタスクのゴールがあって無事終わったんですね。いや、ゴールじゃなくてスタートだ、と関係者には突っ込まれるかも。
なら、「やり終わった」ことによる喪失感ではないか、と思うでしょう。でもそうでもない、と思っています。ワタシのことですが。
その前に終わった はじまったタスクの「次」のことを考えると、ぜんぜんイメージがわかないんですね。そう、ワタシが次のタスクのネタだしでモニョモニョしているだけなんですねぇ。
やる気はどこから湧いてくるか
その「やる気」ってどこからか「湧いてくる」んでしょうか。いや、そもそも自分自身以外の何かが起因で生じるものなのでしょうか。
ほんとはわかっているんですよね。誰もが。
誰もが「やる気」は湧いてくるものではないことを。「やる気」は自分自身の何かから生じるものではないことを。
じゃあ、どこから「やる気」は湧いてくるのでしょうか。
そう、「自分自身から」です。ワタシのやる気はワタシから生じます。
そして、「やる気」は、ワタシ自身が「やる」と意思を決めたら、それが「やる気」です。反対に、ワタシ自身が「やらない」と決めたら「やる気がない」のです。
実は、やる気は自分自身が源泉で、自分自身の意思決定で生み出されていたのでした。その上、「やらない」と意思決定している状態である「やる気のない」状態を正当化するためにさまざまな理由を自分で寄せ集めて理論武装します。
「他が忙しいから」「今はまだそのときじゃない」「明日になったらやる」「忙しいから」。これらは「やらない」と意思決定した自分を「やる気がない」という状況を作るために作為的にしているのです。
本当はわかっているのです。今、何をしなければならないのか。
こうした状況下で自分に言うことはこれだけです。「一番面倒くさいのから手をつけろ」と。