仕事で失敗すると怒られるからと始めると失敗するよ

仕事をするとき、まあエンジニアも人ですから失敗はしたくないものです。

 

怒られるから失敗したくないの?

不思議と失敗した後のことを想像するときに最初に出てくるのが「怒られるから」失敗したくないと口に出します。出しますよね、ね。

「誰それに怒られるからやめなさい」

と子供のことから言い聞かされてきたからかもしれません。それって、判断基準が自分の意志で行えない外部に依存した物言いなので自分の言葉として使いませんし、ワタシの子どもにも意識して使わないですけれど。

 

失敗したら後片付けが大変だから

仕事で失敗したら怒られる。それよりは失敗したら後始末が面倒になるから失敗しないようにしたい、と思っているなら大分マシですね。だって、失敗しても自分でかと片付けをしようとする意志が確認できるので。

 

仮に失敗したらどうなるかというと、失敗するまで進んでしまったことを取り返しができる地点まで巻き戻すことと、取り返しができる地点から達成したい目的地まで進むことの2つをやらなければなりません。

 

だから失敗すると大変なのです。でも失敗したってわかるまでに何やっているんですか。

 

失敗は実はそれほど起きない

ところで仕事で失敗ってあるのでしょうか。自分で担当した仕事の後片付けできないほどの状況になったら失敗なのかなぁと思うのですが。

 

と考えに立つと、手に追えなくなるほどにならなければ失敗ではない、ということです。ちょっとやり方を間違えた、途中で違うと言われた、くらいなら軌道修正すれば良いのです。

 

それ、失敗ですか。

 

試行錯誤なのではありませんか。いいじゃないですか。得たい結果を得るための経験です。次は同じ間違いをしなくて良いという経験知を得たのです。間違いを学習しないで同じ間違いを繰り返すのなら、それは問題がありますけど。

 

仕事が試行錯誤なら上手くできなくて当然

反対に上手くやりたいと思うことはあるでしょうか。仕事を今回も、今回は、どっちかわかりませんが上手くやりたい、と。

 

気負うのはわかりますが気負いすぎると思考を無意識に制限してしまったり、緊張して体が思うように動かなくなってしまうこともありますよね。仕事なんだから成り行きでしかなりませんから、到達したいところにいかに着地するようにできるかの調整の連続でしか対応できないと思うのですけれど。

 

なので、仕事は上手くやろうとか失敗をしなようにしようと思って始めないことです。仕事を始めるときにそんなことを考える暇があるなら、実現しようとしているやり方の検証をした方が時間の使い方に価値があります。

 

最後まで片付けるならそれは失敗じゃないです。あと、上手くやろうとも思わないことです。こんなふうに終わりたいたいな、そのためにこうしたらいいのかな、と終わるための手続きを考えましょう。