プロマネの心理的不安と学び

空き時間があったので、前にプロマネの事例紹介をオファーされていて、いくつか候補は選んでいたのだけれど、そろそろなと思い2つ目のテーマをノートに書き出してみた。

書き出してみると、1/3はプロジェクト概要、2/3はプロジェクトの経緯になっていて、やっぱりスライドはいきなり書き始めるものではないな、と改めて思う。書き出したことはページのコンテンツになることは変わりはないが、オファーを受けた場の期待と開かれる場の目的がプロジェクトの経緯という武勇伝や俺すげえ系の独り舞台ではないからだ。

一通り経緯を書き出した後、冒頭のスペースに場の目的から要約的な箇条書きを書き込んで、それを軸にしようと取り敢えず仮設する。

 

事例を振り返ると、プロマネというプロフェッショナルな業務は面倒臭い職業だと思う。

 

技術に長けていて、顧客を巻き込んでリードできるエンジニアの資質を持っていたらプロマネなんてしていなかったかもしれないな、と。現実にはそれはないのか、単にまだ見つけられていないのかは不明だがこうやってプロマネを続けている。

事例を見返すと、あのプロジェクトをあそこまで出来たものだと思う。端的にはトラブっていたプロジェクトチームをチームとして機能するように立て直した案件だ。

プロマネとして前任からろくに引き継ぎもあるようでないようで、その中でいきなりリリース計画があって、案の定の結果になって。

まあ、あのリリースした日の酷さと言ったら、過去に経験がないほどひどくて。これをチームの中だけで閉じておくことは逆に現状を知らせないことになると判断して、役員まで巻き込んで中途参画した立て直しプロジェクトの現状の酷さを突きつけた。

どこの組織においてもプロジェクトは成功するもので、プロジェクトはプロマネがなんとかしてくれるものだと思っている節があるが、現実の世界はそんなことはありえない。

一から計画を作り、チームを成果が得られるチームへ作り込みながらプロジェクトを進められるならそう言った期待も答えれるように腐心することもするだろう。

ただ、それは自分が計画を立てた主役だからだ。成り行きで頓挫しかけたプロジェクトを立て直すのは話は別である。

そうしたプロジェクトでのプロマネには心理的不安しかない。立て直せなければ叱責され、前任者の失策を含めて責任を取らせられかねない。計画的に初めていれば様々なリスクのなかで最悪のケースを想定しつつ、大らかな気持ちで取り組むこともできるのにその余裕が一切ないところでのプロジェクトステータスのスイッチを期待されるのだ。

この事例では、当たり前のことを当たり前にできるチーム作りという基本がプロジェクトチームを助けるという学びがあった。もちろん、誰の当たり前かと言えば、それはプロマネの当たり前である。それを実現するためにはプロマネの期待を期待通りに遂行できるチームのマインドを刷り込み直すことと結果を評価することである。

当たり前のことを当たり前にできるエンジニアのチームになったとき、チームから解放されたのだった。