火消しより💮をつけるのが仕事である

今年もあとひと月を切ったし、平成もあと半年くらいか。温泉でサウナと水ふろを2往復したあと、休憩所みたいなところで地の方言を大声で話す老人たちのノイズをBGMに絶滅したプロジェクション型TVに映っているゴルフを眺めている。

声を抑えて話すことは、場や話す内容により選ぶ必要があるから、ある種のスキルなのかもしれない。ずっと声を張り上げて話すおばあちゃん、何を話しているのか聞き取りにくいおじいちゃん。地方はこんなものなのだろう。

盛り付けに一切気を使っていないクリームあんみつの寒天と小豆あんを掬いながら、就職は都会に限ると改めて思う。

水風呂で延髄がじんじんする感覚を感じながらfacebookのTLを眺めていると「火消しは得意じゃないんですよ」というのを見かけて、そういえば最後の火消しはいつだったかと記憶を辿る。

実は、ボヤといえばボヤな案件があるが、案件の性質上、それほど問題になっていない。ただ、年明けにイベントがあり、そこには間に合わせなければまずいので、今まで他の複数の案件にリソースを使っていたところの配分をシフトしてネジを巻いてやらないといけない。

エンジニアはどうして放置されるとズルズルと終わらせる予定日をずらしていくのだろうか。

どう考えても、終わらせると約束した日に一旦、終わらせてしまった方が楽ではないか。放置した結果がこれであるから、これは自分のプロジェクトの関係者でなければ、つまり、他の案件ではもっとひどいのかもしれない。

それはさておき、プロジェクトでどれだけ火消しをしたかよくわからない。火消しは関わりのないプロジェクトを外から立て直しに入る仕事である。

まあ、火消しに入るときは、だいたい、そばにいて火の粉が降りかかってきそうだというのがわかる。役員か上司と見ていて、やばそうだと言っているうちに巻き込まれるからだ。

自分で最初からやればこんなことはならないのに、と思う。それに、大騒ぎしたエンジニアは再チャレンジする機会を与えるのは良いが、当たり前に仕事をして当たり前に終わらすエンジニアをより評価するようにしなければアホらしくてやってられない。

まあ、火消ししなければならない案件は目立つから、であるのだが。

そう思って、最近はかなり平常運転であるからこそ、うまく回しているメンバを持ち上げる実験をしている。これが割と面白い。

実は役員級に評判がイマイチのエンジニアがいるのだが、今の仕事でうまくやっているので擁護キャンペーンをしている。上司や役員なんて自分が見ていた時の印象をずっと持っている。そうした印象は後を引いて昇格時に割と響く。

自分にとって、部下と恋人の過去はどうでもいい。

今、自分の部下として期待することに期待通り応えてくれるなら、花丸をいくらでもあげる。自分の仕事は部下に○をつけることなのである。

今年は大分💮をつけれたのでいい1年で終われそうだ。