心理的安全性は場である

ここ数年、チームで使える時間をチームの存在理由を失わないために費やしてきた。チームの存在理由とは、それを実行し続けることが生存戦略にも繋がる。チームの存在理由を失わないために、チームのテーマを真剣に取り組む。真剣に取り組まなければ組織から見たときのチームの価値を失う=評価されないと考えているから、いつもテーマに集中する。

具体的には、チームで活動するからテーマ候補出し、テーマの絞り込み、営業や組織を巻き込む活動に展開していく。こうした活動の中ではチーム全員が同じ情報を共有し、アクセスできるようにする。それはチーム全員に対し、この活動において何かしら主体的に取り組むことを求めているからである。もっとわかりやすく言えば、目標管理のテーマで各自に何をするか目標を設定させる。目標を設定してもらう、ではない。させる、である。これはチームの存続に関わることであるから、それに合わないメンバは自主的に退場を促す、という意味合いもある。

ミーティングではテーマに集中している。会話の中心はテーマである。メンバはテーマごとに各自で主体的に活動をしてくる。こちらから依頼しなくてもメンバ同士で協働することもある。

こうした場では、ミーティングの中心はテーマであるから、モニタに映されるスプレッドシートやスライドを観ながらアレコレと活動について議論する。状況はどうか、その状況は事実か、意見か。どれをトッププライオリティにするか。次のアクションは何か。

マネージャとしてコメントをつけたり、意図を確認したり、アクションのオーダを出すとき、対象となるのはテーマになる。

例えば、テーマの進捗が思った以上に進まないときには、

『現状把握を事実ベースで確認した方が良い』

と言うとテーマをリードしているメンバなり、その確認先にコンタクトできるメンバはそれぞれおもいおもいに具体的なアクティビティを躊躇いなく提案してくれる。

勝手に解釈しているのだが、これはテーマについての場だからなのだろうと考える。これがテーマを主管するメンバの報告だったら、こういった場にもならないだろうし、メンバのリアクションも違ったものになっていただろう。

なぜなら、テーマを前面に出していたとしてもメンバとマネージャ、メンバとチームという構造を自然と構築してしまうからである。

チームメンバの関係性、ミーティングの背景を知らない人が突然引き込まれてミーティングに参加すると、状況によりミーティングで喧嘩をしているように感じるかもしれない。実際、ムキになって次のアクションをアレコレしたいと訴えているシーンも過去に何度かあった。そのくらい、チームのミーティングの場では、メンバも真剣にテーマを中心に置いている。

 

心理的安全性は、場である。

場は、構成する人々により構築される。

構築した場には、心理的安全性の性質を備える。必ず持っているがその性質の質量は構築する人々に依存する。

場は、作るものであり、出来上がった結果であり、変わるものである。

 

 

The Fearless Organization: Creating Psychological Safety in the Workplace for Learning, Innovation, and Growth

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