アジャイルネイティブな時代と

仕事場でも自分の子どもさんと同じくらいの若者が多くいる。数年の違いだからほとんど同じようなものだ。そんな中にオーバー50歳のおじさんエンジニアがそれっぽい格好をしているものだから、会釈をしてスルスルと目の前を過ぎていく。

執務室なのだし、どこであっても不思議ではないのだから会釈なんていいのにと思うが、どっちにしても今の若いエンジニアは能力も高いし、ちゃんとしている。自分の同じくらいの年頃と比べるのは失礼とこちらが思ってしまう。

アジャイル開発の中でもっともいいところは、『それ作る必要あるか』というように何でもかんでもシステム化しないというところだ。

作らない選択肢の存在。

ウォーターフォールはスコープが固定されている(厳密には違う)から、作らないという選択肢はない。以前参画したことのある大規模なシステム開発では、開発途上で開発を止め、残置するという扱いがあったのをみて、そのときは意味がわからなかった(あとで大人の事情ということがわかった)。

契約書上、作ると記載があれば作らなければならないし、納品してもらわなければならない。監査で指摘されるからだ。

DX、DXと某が煽り、それでIT投資は旺盛なようである(青い銀行のプロジェクト終了で冷えるかと思っていたのに)。ただ、そのDXも単なる業務のIT化ではOAしているだけで昭和のままだ。ToDoを解決するだけでは、どこにもDXはない。

ましてやそれにアジャイルを使う意味はない。スコープが決まっているのだから、ウォーターフォールでやった方が失敗は少ない。

あれこれやるとして、それに投入するコストに見合うリターンがなければやる意味はない。

そこに作らない選択肢、である。

毎回このカードばかりきっているとそのうち誰かに怒られるだろうが、それでも作ることで意味がないなら作らない方が良い。