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遠慮するメンバがいる居心地の良いチームはパフォーマンスに応えられない

居心地の良いチームは良いと思うし、それを目指そうとしますよね。例えば、心理的安全性の高いチームはその類似例かもしれないです。

ただ、この居心地の良いチームがパフォーマンスが高いかと言えばそうでもないのではないかと思うわけです。

過去のプロジェクトで、プロジェクトの仕事の中ではロールに応じた(大人的な表現)役割を求めあい、互いに期待されるパフォーマンスを発揮できないときちんと指摘し、指摘されてた方は対策をするということをやっていたとき、それはそれでパフォーマンスは高かったです。言い方を変えれば緊張感が張り詰めている感じでした。

ところが、飲み会となればオンとは反対にものすごくフレンドリーで懇親するんですよ。
#ある意味こっちの方が大人の行動なのかもしれませんけど。

ワタシ個人的にはこちらのチームスタイルが口に合います。個人的な嗜好ですが。がっつり意思伝達して、パパッと帰ってもらう方がいいし、そうやって考える時間を作って次に備えたいですし。

居心地の良いチームは2つある

居心地の良いチームは2つのパターンがあると思うんですよ。良い解釈としての居心地の良いチームはパフォーマンスの良いチームでもある。しかし、居心地の良いチームに見えて実は単なる仲良しクラブでパフォーマンスがさっぱり出ないチームだって少なくないんですよ。

後者の居心地が良いチームなのにパフォーマンスが出ないチームの特徴は変に気を使って言わなければならないことを言わない・言いにくい関係のチームです。

これ、実は身の回りに多くないですか。それも「大人の対応」とか言って言わないことをよしとしているチームが。

遠慮を美徳と勘違いしていると期待に応えられない

そういうチーム、つまり居心地がいい割に期待されるパフォーマンスが出ないチームのメンバは、遠慮を美徳のように振る舞う特徴を持っているんです。

相手を認めて、理解して対応する応対と何から何まで自分を卑下してそれを遠慮しているから失礼はないだろうと思っている人は全然違うと思うんですよ。

何にかと言えば、成果に対するパフォーマンスの出来です。出来と言っても過剰な金メッキとかのレベルの話ではなくて、プロジェクトの目的を由来とする品質要求を満たしているか、それを満たそうとしているか、です。

自分を卑下して遠慮を振舞っている人は、自分で勝手に品質要求レベルを下げてしまうんですよ。それも他責にして。

理解することと遠慮することの違い

相手を認めて、理解して対応する応対ができる人たちのチームは総じてパフォーマンスが高い。なぜなら、こちらのやりたいことの障害を明らかにして、必要なら利害関係者と調整することを黙っていてもやってくれるからです。

これは単純な話で自分のタスクの達成のために何をしなければならないかを自分で組み立てられるからですよね。卑下していたら、必要もないのに膝を詰めずに逆に下がるわけですから結果的に自分で自分の首を絞めているだけなので、目的から遠ざかる一方です。そりゃパフォーマンスに応えられるわけないです。

用法の注意事項

ただ、勘違いしてはいけないのは、言いたいことを言い放題にすればいいということではありませんよ。相手を理解する≠受け入れることでもないです。あーそうなんだね、です。でも、こっちもこーなんですよ、と。じゃあどこで、でもプロジェクトの目的はこうだから、じゃあここですね、という意思疎通をするのがパフォーマンスにつながると思うのです。