“不満の形は、どうにでも表現できる”ということ


不満を負の形で表現するのか、かたち自体を変えるのか。
不満の相手にだけ、変わってと要求するのか、自分が変わってしまうのか。
どちらに変わった方が良いのかは、わかっていること。


関係上の不満の表し方は、人それぞれだ。
自分が若いころは、相手に否定的な表現で接していた。
その結果は、ギスギスした関係に移るのは、想像に難くない。


ワイフと生活をするようになって、少しは、と思ったら、早々と変われるものではなかった。
大きく考え方を変えたターニングポイントは、子を育てる立場になってからだ。

自分が子供のころに受けた親の接し方はやめよう。


この想いが、今の自分のベースだ。
不満を不満のまま、相手にぶつけない。

  • 相手は、こちらが不満になると思っていないのかもしれない
  • こっちが気づいても、そもそも相手は気づいていないのかもしれない
  • 相手は、忙しいか体調が悪いかで、やりたくてもできないかもしれない


だから、こっちから変わることにした。

  • ちょっと、やってみたけどどうかな
  • これ、こう変えたらどう思う
  • (黙って、さっと)やっちゃう
  • (散らかっているものを指して)、いらないなら、もらっちゃおうかな


子に効果的なのは、−当たり前だが−、しかりつけるより、笑いながら、

  • 散らかっているの、もらっちゃうよ
  • 部屋の散らかっている本、片付けた分の部屋のスペースもらっちゃうよ

と言って、その不満の元に目掛けて走っていって、さも、そうしようとするやり方だ。
これは、とっても効果がある。


子にしたら、遊んでるようで、自分にしたら片づけができて。
ね、不満が楽しい形に変わって、穏やかになれるでしょ。