嫌な仕事を一瞬で片付けられるようになったのには理由がありました


若い頃は会社になんて行きたくもなかったものです。目覚ましが鳴ってベルを止めたとき、「今日休んじゃってもいいなかなー。大丈夫だ...。」とかね。随分やったものです。そのあと、「やっぱり行っとけばよかった...。」なんて何度も後悔したものです。

まだに気が進まないような仕事も振ってくるし、「面倒だよソレ。」とかも思うこともあるし、要件によっては電話1本掛けるのだって「面倒くせー。」って思うこともなくはないです。

でもね、若い頃と違うのは、そう思うのは“一瞬”であって、面倒だからこそ、先に済ませてしまおうと考えられるようになったこと、それが大きな違いです。


行動は幾つになっても変えられる
週末、朝寝坊していませんか。20代までの週末は、金曜の夜は夜更かしして、土曜の朝はゆっくり起きる方がなんとなくいいじゃない、と思っていたし、実際、そうしていたものです。結婚していても、はじめの1年くらいはそんな感じな生活でした。
ところが、1年後くらいにちょっとした一言で考えを変え、生活行動を変えるようになったのです。

「週末、午前中寝ていたらもったいないジャン。週末こそ、早起きして遊びに出かけるなり、時間を有効に使ったほうがいいよ。」


そんなこと言う人、初めてでした。「あぁ、そうだね。」と思ったわけです。平日と同じ時間に起きたり、場合によっては、ソレより早く起きたり。早く起きられれば、車があると随分先まで日帰りで出掛けることができるようになるのです。例えば、南東北なんて日帰りでドライブに何度も行ったものです。

その効果が今でもあります。週末のイベントに行きたい、しかし、普通にしていたら長蛇の列を並ばないといけない、というようなとき、じゃあ、4時に起きて出発とか思うことが嫌だな、なんてこれっぽちも思わない。「そうか、4時に“起きれば”いいんだね。」って。早起きすることが苦にならなくなったものです。


週末早起きするようになってわかったこと
そこで分かったことは、習慣なんて幾らでも変えられるということです。自分が変えようと思って、それを実行に移せば、幾らでも変えられる。

身近なところで習慣を変える効果は、実は、大きいのです。大変なことや難しいことは、ソレを実現したらその満足感は想像を超えたものになるのでしょうが、何せやり切れるか可能性が分からない。なぜなら、自分で今までやっていなかったのだから。

それなら自分の身の回りでちょっとしたことから変え、実感したほうが良いに決まっているというものです。


嫌なことでも、やらなければならないこともある
私生活でも仕事でも面倒だったり、気が進まないことが少なくありません。電話1本掛ければいいのに、掛けるのが億劫と感じてしまう。

多分、それは、電話の相手になんらか心理的に負い目があったり、生理的に感じるものがあるのかもしれません。若しくは、過去にミスをしていてそれが自分の中で消すことが出来ず、記憶にこびりついているのかもしれません。

嫌なことも億劫なこともやっておかないと、負債を雪ダルマのように抱えることに成るのです。自分のメンタルの面で。嫌々でも直ぐに片付けて仕舞えるならそこで開放されますが、いつまでも引き摺っているならそれを片付けるまでずっと嫌な思いをし続けなければなりません。
#ワタシはそんなことは勘弁願いたい。


嫌な気持ちは一瞬だけにする
先の週末の早起き同様に、

“嫌なことこそさっさと片付ける”


という習慣を身につけられれば、そんな負債を抱え込む必要はないのです。
あと、もう一つあって、先々へ伸ばせば伸ばすほど、その嫌なことの相手もジリジリしてきて、待たされれば待たされるほど、攻撃的になるものなのです。

自分は嫌な気持ちの負債を抱え込み、相手もイライラして攻撃的になる。これでは大した話でなくても不要に揉めてしまう。

自分で自分の首を絞めるくらいな、その嫌々と思うのは仕方がないけれど、−(出来れば止めたい...)−、嫌な思いはちょっとになるように習慣を変えたほうがいいのです。



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