顧客がエンジニアにお金を払う理由


単純に顧客が自分でやりたいんだけど、それを実現するために必要な技術を習得して自分でやるには時間とコストが掛かってしまい、本来その技術を使ってやりたかった業務が出来なくなるからという理由ですね。


顧客自身がやれれば自身でやりたいことを代替するわけで、そうすると、それを実現できる専門家しての振る舞いと結果を期待するわけです。だって、自分がやったら「こんなすごいレベルでできるもん!」って思うでしょ。誰だって自己評価は甘いものですもん。


そこに根付くので、金額の大小にかかわらず、自分に払うつもりの対価を専門家に支払ったとたんに、それを請け負ったエンジニアには“専門家”としての期待値がマックスになるわけで。


実際、エンジニア側の中の人達に言わせれば、支払った対価によってエンジニアのスキルレベルのアサイメントが変わるので、顧客はレベルの高いエンジニアを、請け負うSIerは対価に見合うエンジニアのレベルをぶつけてギャップを生むわけです。


賢いSIerなら、いま供給できるエンジニアのレベルはこれこれです、とぶちゃけることで顧客の“期待”と供給側の“期待”をすり合わせて期待のギャップを均して契約するんですよ。


「いま、経験の浅いエンジニアしか出せないんですよ〜。」って。


でもね、それは供給側の言い分であって、いつも額面どおり受け取ってもらえるわけでもないし、いつまでも理解してもらえるわけでもないわけです。需要家からみた供給サイドが複数の選択肢としてあるなら、「なら、隣の店に聞いてみるよ。」ってなるのは当然だし。


これって、顧客から見たらエンジニアは技術の価値で買っているということのほかなくて、ましてや、自分のリソースの代替なんでパフォーマンスなんて常時マックスをベースラインで考えているからかなり手ごわいです。対価に見合わなければ隣に行っちゃうし。


供給サイドのSIerは、もう、顧客から見たときの価値という観点と同業他社から見たときの価値という観点で価値を供給する専門家としての振る舞いと技術を向上し続けないといけないわけです。


でないと、買いたたかれますし。買いたたかれる程度の技術力なら、派遣やオフショアで十分、ってなっちゃっうでしょ。


でね、顧客の時間も時代とともに流れているわけで、何かのきっかけで新しい技術を背景としたビジネス要件の実現をしたいということだってあるんですね。いまなら、スマホで社内システムに繋ぎたい、とか。


結局、エンジニアであり続けるためには、顧客から対価を得られるために、専門家の価値を構成する振る舞いと技術力を追い続けないといけないんだね、っていうことです。