誰もがリーダになれるという勘違いをいい加減やめた方が良い


いくつものプロジェクトが並行で、五月雨で立ち上がると、こっちのプロジェクトのプロジェクトマネージャとSEリーダは、とか、来月立ち上がるプロジェクトのプロジェクトマネージャとSEリーダは、とかリソースのアサイメントをプロジェクトの個別最適化と組織のリソースの全体最適化で頭を悩ますことになることがままあります。


一時的な閑散期ならリソースの選択肢が十分あるわけで、そのプロジェクトの特性を踏まえて個別最適>全体最適のバランスで判断しても残ったリソースで想定と違う進行状況となったときのリカバリができるので割とチャレンジも保守的なアサイメントとも出るんです。


ところが、冒頭のようにいくつか並行してプロジェクトが立つようになると、どこかのプロジェクトだけにリソースのリスクを負わせることはできないので、個別最適<全体最適でリソースの割り当てるようにウエイトの比重を適宜調整することになるわけです。


マネージャなら当然と思うかもしれないけれど、この置かれた環境の制約下において、判断基準は柔軟に変更するべきものだと思っています。しかし、周りには、判断基準がころころ変わっているように見えることがあるので、すべての判断基準の根本は、プロジェクトのリスクを生むような現実的でないリソース割り当てをするような判断はしないよ、とスタンスをはっきり示しておくべきでしょう。


組織に属するリソースのキャパシティがあって、それが柔軟に伸縮できないならプロジェクトサイズの組み合わせで幾つの並行でプロジェクトをプログラムマネジメントできるか常に規模感として持っていないといけないです。その上で、それぞれのプロジェクトのプリセールスの段階からクロージング、つまり契約までの間にそれをやるなら、とプロジェクトの特性と残存するリソースの組み合わせでどのようにチーミングして、どこのロールを押さえて、どこのポジションをアウトソースとするのか思いめぐらすことが、時々刻々と変わる条件に対して余裕をもって考えることができるわけです。


残存リソースと既存プロジェクトのリソースの玉突きの可能性を念頭に、新規プロジェクトのチーミングを考えるときに大切なことの一つに、プロジェクトの特性をきちんと把握しておく、ということがあります。業種や顧客のリテラシやシステムの重要性などがそれにあたり、それがチーミングの制約となって、残存リソースの割り当てでキーパーソンとなるポジションを押さえることができるかどうか、人的リスクマネジメントとして重点的に検討します。


結論は、大体この時点ででているもので、あとはやれると判断したら「できるからやってね。」しかないのですけどね。


プロジェクトのキーパーソンとして押さえないといけないポジションは結局プロジェクトマネージャとか技術の勘所のSEリーダとかアーキテクトとかになるわけです。ならば、そのポジションとしてのコンピテンシやマインドセットを持っているかは、マネージャなら知っているわけで、だからこそ、人的リスクマネジメントとして検討する時点でそのプロジェクトが残存リソースで大体やっていけるのかどうかの判断がつくんだよ、ってことです。


その勘所を押さえていない人たちは、マネージャなら接することができる内面的な性格と見た目にわかる外見的な性格や振る舞いを持ち合わせることがないため、表面的なところでわかる情報だけで、たとえば経験年数とか人柄で、残存リソースでチーミングできるじゃん、って、ワタシから見たらトンデモなご意見を賜ることになるわけです。


「いやいや、あの人にそのポジションできなから。」と言っても、「なんでそんな否定するの。」とか「チャレンジさせればいいじゃん。」とか大変貴重なご意見をいただけるのですが、それ、実際何も考えないでアサインしたらそのケツは誰が拭くんですかね?ってことなんですよ。


自分でそれをリスクだとわかってアサイメントするなら、いいんです。覚悟しているし、本人にも「こうしたアサイメントするけれど、ここまで頑張ってほしいんよ。でも、そのかわり、こことかそことかは手を出すからさ。」っていうから。


そこには、“期待するリーダシップ像”があるわけです。こちら側に。で、それを伝えられる。でも、何も考えないで、外面的な印象だけでアサイメントする人には、経験年数とか人柄だけでリーダができると思っている節があって、そうしたワタシから言えば、何も考えていないような誰でもがリーダになれるというような勘違いは良いが現止めた方がやけどを負わなくていいよって思うんだけど、一向に減らないんだけど、どうして?