せっかく読書をしたのにすべてを失わないために


芝刈バリカンが楽しくてしょうがないのですが、iPhone5sは一体何時になったら手元に届くんですかね。少しだけ、気長に待つとしても今回騎手偏しようとしたのはヘッドホンジャックがガタが来ていて接触が悪くなる時があるんですね。それがあって早く変えたいな、って思っているんです。


そう言えば、iOS7へのアップデートは子が自分から上げたいと言ってきたので7に上げました。特に前が良いとかいうこともなく、7の傾けるとアイコンと背景がずれて奥行き感が出るのを見せにきたり、それなりに楽しんでるようなので7が少し楽しみに。


それにしても、この連休、サッパリ読書が進まない。ソファにゴロっとして新約禁書を読んでもすぐに「ぐー……」ってなっちゃう。大分疲れが出ているのか、すこし風邪気味なのか、喉に違和感あるにはあるだけど。Making Softwareだって、読みたい気はあるんだけど、何せ重くて、と言い訳して先送りしてたり。


読書は実体験をチートする
UVERworldFight For Libertyじゃないけれど、人生は二度無いのでやりたいことを全て実体験するには時間が短すぎる、です。それをチートするのが読書なのです。チートでは言葉足らずなのでその意図を正しく言うなら“著者の体験なりまとめを書籍を通して追体験する”です。それでも、追体験でもしないよりずっとやった方が良い。


で、その追体験の中でも、これは、と思うものは、実際に自分で体験する環境を作って疑似体験のように経験をしてみたらいいのです。


チートしても残さなければ失くしてしまう
でも、書籍で追経験で得たものは、なんらか形にしないと忘れて失ってしまうものです。だって、強烈に自分の体で受け止めたものではなく著者の体験の上辺をなぞっただけに過ぎないのですから。やっぱり、実体験に勝るものはなないですけれど、すべてを体験するには人生が短いということの他に自ら進んでデスマーチとか修羅場に足を踏み入れることは必要はないですしね。


自らの体験ではない分、実感する印象が軽くなるは仕方がないとしても、得られるものは得たいと思うのは心情だとも思うんです。ズシンとココロにインパクトを与えるようなものであればいいのですが、意外とココロの隅に引っかかるようなことがあとあと役になったりするものなのでそうしたものを逃さずにするためには、やっぱり追体験する側のセンサの感度をちょっとあげておく他ないかな、と。


まぁ、そうやって感度をちょっとあげて、文脈を行ったり来たりしながら。行ったり来たりしながら、自分のココロにひっかかる、刺さり込む言葉や場景を想像しながら、何が自分にとって価値のある体験だったのか、それをあとで必要なときに引き出せるようにしておきたいのです。


ワタシなんて記憶のメモリ領域が小さいものですから、これまでその小さな記憶に頼るほかなく、随分と必要なときに引き出せなかったものです。そして引き出されなかったものは、ずっと奥深くに仕舞われたままで場合によっては二度と日の目を見ることはないのです。


残すなら手書きよりデジタルが良いわけ
そのあとで引き出すためにどこに残すかは、やっぱりアクセサビリティと再利用を考えるとデジタルで残したいですね。だって、引き出そうとしている時点で、思い出そうとかそれを話題にしようとかで再利用するために探しているのですから。


あと、その残したものをたとえば1年後に引き出そうとするでしょ?そのとき手書きで読める字なのか、も大事なことです。さらさらときれいな字で残せるならいいんですが。ワタシなんて無理だな。ところどころ変質してしまったのではないか、って思うくらいだもの。


で、残すなら、残しやすいマルチプラットフォームのアプリケーションかスマホアプリが良いでしょうね。スマホアプリでもwebアクセスできるやつね。残すためにアプリを起動することのハードルがほとんどないもの、が一番いいです。起動するだけで時間を取られるなら、萎えちゃいますもん。


あと、それを残すことで誰かの眼に触れてもいいのかどうか、でしょうね。読書はチートで、ならもともと公開情報なので全く困らないと思うんですね。だから、ブログを使うのも一つの手ではないか、と。ただ、無防備な感想を書いておいてあとから洗練してからでないと、と思うなら、evernoteのようなアプリが良いでしょうね。


いずれにしても、追体験したものは残して、いつでもアクセスできるようにして、ときどき見返す、ようになればその追体験もずいぶんと自分にとって価値のあるものになるのではないかな、と思うんです。