信頼から得られる裁量は、自由という対価なのかもしれない
まなび、しくみ、ふるまい、業務のフレームワーク、作業標準、規律、小さなWBS、朝会、カンバン、定量的評価、作業品質、そんなことを書いている、気がする。言葉だけを取ると、とってもルールに厳しい小うるさそうなオジサンっぽくおもうかもしれないけれど、その通りでもあるし、そうでもない。
どっちつかずとか、気分屋なのではなくて、相手の成果に対する信頼度で使い分けているだけなんだ。
分類するなら、この人がダメなら自分がやっても難しいのだろうとか、実質ワタシの変わり身、だとか、そう言ったほどの信頼を寄せている人のグループとそれ以外のグループに分けて応対を決めているだけなんだ。
成果の対価は自由
ワタシの変わりと位置づけるグループは、言い換えればベテランのプロジェクトマネージャ達のグループなのです。ベテランのプロジェクトマネージャは、勿論、有能でベテランのプロジェクトマネージャ達はワタシが期待する成果=プロジェクトをコントロールしてくれるから、プログラムマネジメントをしているワタシのポーリングはとても頻度を少なくできるのです。
ベテランたちは、自分と自分の担当するプロジェクトを自分の価値判断で律することができるんですね。律した結果がプロジェクトコントロールの成果となって表れている。
だから、裁量を与える。一方、ベテランたちもどこを相談を装って報告すればいいか勘所を押さえているようで、お互いに知りたい、伝えたいことを交換し合える。なにより、ベテランは自分で計画したとおりにコトを進め、危うくなりそうな前にコトに対して事前に手配し、調整が効く範囲の中でコトを収めてしまう。約束した期日に求められる程度の品質を備えたdeliverableを揃えてくれる。
こうした実績、パフォーマンスを期待できるから、ワタシは信頼し、ベテラン達が自由に振る舞っても口を挟まないのです。
成長途中の人には規律と成果を
ワタシもそうだし、誰しも初めからベテランのプロジェクトマネージャのようにふるまえるわけでもパフォーマンスを出せるわけでも、そして期待する成果を出せるわけでもないのです。
それは、誰もが通る道です。
だから、そう言った成長途中の人には期待していることを規律として要求し、ワタシが期待する成果を得られるようなアクティビティをしてもらうんです。そうは言っても、箸の上げ下げすべてを指示することはなくて、基本的に考え、行動するのは成長途中の人たちが中心で主導を取ってもらうのですけど。
ただ、成長途中の人には、経験の少なさ、知識の不足もあって、ワタシやベテランのプロジェクトマネージャが見れば律するためのアクティビティの手が回っていないことがままあるのですね。そうしたことを一つひとつ経験させていくには成長途中の人に気づかせることが必要になるのです。
つまり、関与をせざるえない。成長途中の人もその成長の進捗はバラバラですから、その人によって関与の度合いを変えた対応が必要です。
関与するということは、ワタシが期待する成果をその人に任せておいても得られない、ということが本質にあってそうした期待を確実にするために関与をするということは、まだ信頼の途上にあるということなのです。
信頼から得られる裁量は、成果から得る自由と言う対価ともいえます。