ムダな手続きにも収穫があることもある


プロジェクトのタスク、特に手続き系の場合、「なんでこんな複雑な手順になっているの?」とか「手続きの申請書を書くのに何度もチェックが入るのはどうして?」なんて思うときがあります。大規模なプロジェクトとかトラブルが多いプロジェクトにはこうしたことがアルアルなのではないかと思います。


以前だったら、正直ブツブツと文句も言っていたでしょうけどあるタイミングから「この手続きを済ませればワタシのやりたいことは先方がやってくれる。」とか「手続きをルールに沿って許可を貰えば、あとは実質フリーダム♡」とか気づいたので、ワタシの分掌では何も変えられないときはなかなか良い考え方だなぁ、と思うようになったのでした。


さて、アナタが「意味のなさそうな複雑な手順の手続き」とか「何度もチェックが入る」というような手続きを「ムダだ!」と思うようになったら、まずは成長した自分を認識しましょう。但し、感情的な理由でムダだと思っているなら別ですけど。


「意味のなさそうな複雑な手順の手続き」や「何度もチェックが入る」が、これまでの自分の経験を踏まえて、複雑な手順を単純に且つ洗練することが出来たり、何度も入るチェックを効果の期待できる箇所に集約できるデザインが出来るようになっていたら、それはもう、自分でそういった手続きをデザインするスキルが身についているという証左なんだと思います。


知らず知らずのうちに、自分の脳内で面前にある申請書の手続きを見て違和感を感じ、自分の脳内で空想し最適なモデルを検証しているのだと。それが好き嫌いの感情ではなく、理路整然とした検証結果なら多分それは正しい改善策の一つなのだと思います。


それをできるようになった自分を褒めましょう。


注意したいのは、感情的に好き嫌いとか面倒くさいとか独りよがりでないこと、改善が自分だけにしか効果のない個別最適化でないこと、でしょうか。前者は説明は不要と思いますが、後者は手続きにかかわる人がその手続きに置いて現状よりはメリットがないと受け入れられないのは、アナタの検討した改善策を追試したり改善するか否かに係るコストの負担があるからです。まぁ、組織的に継続的な改善に取り組んでいるならその考慮は必要ないかもしれませんが、人を動かすには何らか得られるものがなければ積極的には取り組んでもらえないかもしれませんし。


実際には、その手続きは変えられないかもしれません。そうであっても、自分の成長を知ることを知らせてくれたと思うことも一つの収穫なのではないかと思います。