「もういいや」と見極める前に「始めること」をしなければならないけどそっちの方が一番大変なんじゃないかな


良い習慣とは、「続けること」だと思うんですよ。だって、やり続けていなければ「止めることさえできない」じゃないですか。


その「続ける」ためには「始める」ということをしなけばならないわけです。


そして、その「始める」こと自体がなかなかできないのですけど。


「始める」切っ掛けなんて、軽くても、いい加減でも、不純な動機でも何でもいいです。兎に角、はじめてしまえばいい。やってしまった人しかわからないことがあるんだもの。やってみて良かったのか、それともそうでなかったのか。そんなことはやってみないとわからない。面白いことにたとえやってみたことが思ったような経験が出来なかったとしても、いつか他のことに結びつくことがあるのでやっぱりやてみるのがいい。


「初める」と言う事実を作って、実際に、何か自分に良いことがありそうだと思えたらやっぱり「続けること」を選ぶと思うんですよ。そうしたら、続ける期間ではなく、続けて「どうなっていたいか」というような現在のポジションに対する位置づけを決めた方がいいと思うんです。


確かに「いつまで」という期間を目標にすることもあるけれど、間違えてしまうとその期間の終わりに到達することが目的にすり替わってしまう恐れがあるから、やっぱり「どのレベルまでに到達したい」という方が優先順位の付け方次第で割けるリソースも変わるでしょうから断然その方がいいです。


そしてそのレベルまで到達したとき、初めて「もういいや」と思うか、「次に進もうか」と判断するのではないかと思うんです。


まぁ、「続けること」を考えるにしても「もういいや」と終わりにするにしても「始めること」をしなければそんなことを考えても意味はないですよね。そうすると、やっぱり、やったのか、やっていないのか、って話に戻るんですよね。なんとも堂々巡りっぽいですが。