「開発チームメンバの自由度と標準にどこまで関係性があるか」というテーマについてどのようなお考えをお持ちですか


最近、開発プロセスのことをなんとなく考えているんですけど、どんなことを考えているかというと「開発チームメンバの自由度と標準にどこまで関係性があるか」みたいな、そんな曖昧なテーマなんですけど。


開発チームが気持ちよく仕事に集中できるためには、開発技術のレベルは高いレベルで保持されている必要があるし、それをデザインパターン名を言えば実装実装イメージが伝播できる、つまり、暗黙知で基本的な技術は担保されていて、そこのコミュニケーションは省くことができるような関係下に置かれることが必要だと思うんですね。


そこには技術に関してボトムのレベルは端折って途中から会話が成立する、という世界観。


でも、その世界観って、現実に手に入れるにはとてもコストがかかるんです。なぜなら、そうなるように育成も動機づけもしていかないといけないから。アホなマネージャはそこをすっ飛ばして結果的にそうなっているトコだけ求める。バカですね。


人は育てるものではなくて、育つ素養のあるSE、システムエンジニアを原石の中から見つけて選別するか、原石の当人はいやがっているところを毎日磨いて輝くことを気づかせて、称賛して上げ続ける努力がこちら側に必要なんです。


そこには続けられるほど目的意識を持っているマネージャが、続けられる程度のコスト負担ができるビジネスが成なっていないとできないんです。


システムエンジニアが全員意識高いはてなーじゃないんです。そこら歩いている人程度の技術的な関心しか持っていないんです。だから、マネージャが自分で意識して会話して、磨いて、光る機会を目の前に置いてあげないといけない。それに興味を持つかどうかは、持たせるよりはSE本人が自分で手を出すようにしないと続かないから注意が必要なんですけど。


でね、コレはとても時間が掛かるし博打なんですね。だって、輝くかどうかはSEさん次第だから。


そこでどうするかがマネージャの仕事なんですよ。先の高レベルの開発チームに入れない普通のシステムエンジニアをどうするか。ボトムの技術レベルは高くない。だったら底上げしないといけない。その策が標準なんですよね。


でね、標準を口に出すと狙いを理解せずに強制だのフィットしないなど自分の感情の反応だけで脊髄反射的に出来ない理由を言う人も少なからずいる。標準なんて雛型なんですから好きにカストすればいいのにね。そういった裁量を求めることも考えることもしない。まぁ、こういう人には説得も説明も意味がないですから、言い回しを変えて普通の人にメリットがあることを話すかないと思います。はい。


何となく、理想と現実と、というテーマぽいですけど。